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No.5-000 1 お城の歴史 - とやまの城


  '10/03/25

とやまの文化財百選「とやまのお城」
 お城は敵や獣を防ぐために築いた防御施設です。城は日本だけではなく、世界各地で見られます。城がいつ頃から造り始められたかは明らかではありませんが、人類の発生と同時に現れたともいわれています。
 日本における城の出現は弥生時代と考えられています。お城が爆発的に出現するのは武士の時代である中世です。武士は堀と土塁を周囲に巡らせた館を築きました。南北朝時代の動乱期には地方豪族の本拠地として急峻な山頂に堀や柵を設置した山城が各地に築かれました。山城は戦国時代にかけてさらに発達し、全国では約3万箇所にものぼるとされています。織田信長は1576(天正4)年、それまでの山城とは異なる、石垣、天守、瓦葺きからなる安土城(滋賀県)を築きました。以降この形式が主流となり江戸時代に受け継がれます。
とやまの文化財百選「とやまのお城」 表紙[富山のお城]
 現在約400箇所確認されています。それらの内で最も古いものとして知られている城は放生津城(射水市)で、『太平記』には元弘3(1333)年の落城の様子が記されています。その後、南北朝時代と戦国時代には非常に多くの城が築かれていました。越中は、鎌倉時代には北条氏、室町時代に畠山氏が守護を務めていますが、ほとんど鎌倉や京都に住んでいました。このため、代理として越中の在地領主によって統治されて、強力な武将が出現しませんでした。そのため、上杉謙信や武田信玄、織田信長が越中に進攻しました。その結果、在地領主や隣国の戦国武将、有力寺院などが、城を築きました。戦国時代末の天正11(1583)年には佐々成政が越中を治め、富山城を居城としました。その後、豊臣秀吉と敵対したため、天正14(1585)年には秀吉によって富山城の成政が攻められ、降伏しました。以降、越中は前田氏の領地となりました。慶長10(1605)年には、前田利長が隠居し、富山城に移りました。その後、慶長14(1609)年には、富山城が火災により焼失したため、高岡城を築いて入城しました。寛永16(1639)年には富山藩が設けられ、富山城が藩主前田氏の居城となりました。
 

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