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テレビ放送講座 平成4年度テキスト「第1回 風の語るもの」


 富山県民生涯学習カレッジ本部

TOP 第1回 風の語るもの 布村 弘

 風を描くなら無風を描け、というのが、作家仲間の常識となっているらしい。小説家の古井由吉氏は、蕉風俳譜の傑作連句集『猿蓑』の中の凡兆の発句と芭蕉の脇句−

市中は物のにほひや夏の月  凡兆

あつしあつしと門々の声   芭蕉

を挙げて、この句の機縁は風だと思う、と言っている。一般的には、風がそよとも動かぬ夏の夜の巷(ちまた)の暑苦しさを吟じた名句とされるのだが、古井氏は「ひと吹きの風が通ったからこそ、物のにおいが感じられ、あつくるしさが意識されるのだ」という。なるほど、風が吹かなければ、風のも、風のもないわけだ。
 風というものが、空気の流動である以上、風そのものを見ることが出来ないのは当然で、私たちは例えば、雲の流れとその形、樹木や草花の戦(そよ)ぎ、水面の波立ちという、ある媒体を通じて風を感じるしかないのである。
 ところが、厄介なことに、この見えないものが、百の面相、千の表情を持っていて、時に、鬼面・夜叉の怒りで人々を脅(おびや)かすかと思えば、時に、慈母・観音の笑みを浮かべて私たちを慰撫し、慈(いつく)しむ。
 憤怒を示す時、彼はたちまち、台風、竜巻、寒・熱風、季節風となって、人間の世界に水害、火災、冷害、旱魃(かんばつ)、豪雪をもたらす。農作物への致命的打撃や構造物の破壊は言うまでもなく、瞬間的旋風が巨船を沈め、列車や自動車を吹き倒す。その時、現代の科学技術も文明も、ほとんど、なすすべを知らない。
 昨年、アメリカのフロリダ州を襲ったハリケーン「アンドルー」の猛威については、テレビや新聞がくわしく報じたことだが、私たちの記憶に新しいのは、むしろ、一昨年秋の台風19号のすさまじさであろう。長崎に上陸したあの台風は、大分で伐採期の古木を大量に倒した後、山口で広範囲に塩害を引き起こし、宮島の厳島神社では能舞台などを破壊した。さらに、金沢で、兼六園の名木を数多く倒し、富山県通過の際には、小矢部で火事のために16棟の家を焼き、新川の林檎(りんご)畑に大きな打撃を与えたのであった。しかも、東北では、秋田杉1万5千本を根こそぎにし、青森でも、34万トンの林檎を落下させて立ち去ったのだ。
 恐ろしいのは、風のもたらす災禍が、このような大規模で直接的なものだけでなく、虫害のように間接的なものにも及ぶことだろう。害虫、例えば、稲の大敵ウンカの中には、渡り鳥が風を利用して海を渡るように、6・7月頃、日本付近を低気圧が通過する時、フィリピンや東南アジア、中国から季節風に乗って飛来するものがある。台湾からは、わずか1日半でやって来るという。蝶の中にも、群をなして海を渡る種類があるそうだ。
 反対に、風が優しい表情を示す時、その恵みの及ぶ範囲は、農漁業を初め、人々の暮らしの隅々にまで、実に広く、深いのである。
 電気洗濯機や乾燥機が一般化する以前、庄川町種田や青島の農家の主婦の間では、「洗濯は夕飯の後片付けが済んでからする」のが普通であったという。無論、この土地の女性たちの労働が、特に厳しかったというわけではない。
 庄川沿いの、このあたりでは、山峡からの吹き出しが微風となって、午後8時頃から、翌朝6時頃まで、間断なく吹き続けるために、洗濯物が夜の間に乾いてしまうのである。
 井波地方でも、同じ微風が家の中の戸障子を不断に揺らして、カタカタ音を立てるので、嫁いで日の浅いお嫁さんたちは、朝まで眠れなかったものだと言い伝えている。
 種田や青島地区は、良質の種籾(もみ)「五ケ種」の産地として、全国に知られるが、それは籾の成育に適した土壌に加えて、絶えず吹く、この微風によって、夜露が結ばないからである。
 もちろん、風がもたらす恩恵は、洗濯物の乾燥や種籾の生産に限らない。例えば、稲や麦の表面を揺らす「穂波」や「風媒花」。
 光合成に日射と炭酸ガスは不可欠のものだが、強い風で揺れるからこそ、植物群落の内部と外部との炭酸ガスや熱の交換が可能となって、光の環境が整い、豊穣が期待出来るのである。しかし、風があまりに強すぎると、枝葉の接触刺激が大きくなって、逆に、植物の成長は鈍化し、止まってしまうだろう。
 また、松、杉、銀杏(いちょう)などの裸子植物や稲、小麦、トウモロコシのようなイネ科植物からキク科植物のブタクサ、蓬(よもぎ)などの、いわゆる風媒花の中には、風によって、50キロメートルも花粉が運ばれる例がある。確かに花粉症の人には、迷惑だが、風がこんなに広く、大量に花粉を撒(ま)き散らすからこそ、農作物が実を結び、森林が繁茂するわけで、思いがけぬところで、風は地球の砂漠化へのブレーキ役を果たしているのである。
 言うまでもなく、何千年も昔から、人間が風車、帆船から飛行体まで、直接、風の力を利用して、交易や産業、運輸に役立てて来たこと、凧(たこ)、鯉のぼり、風ぐるま、風船、気球からヨット、ウインド・サーフィン、ハングライターまで、レジャーや遊びに、風の流れを活かしてきたことは、周知の事実だ。
 このように、良かれ悪しかれ、直接、間接を問わず、動植物や物を介し、地球や季節に影響されながら、風は私たち人間の生活に複雑微妙な関わりを持っているのだが、それにもかかわらず、風の真意を知ることは、その外貌が多様なだけに、格別にむずかしいのである。
 「風、この恵み深きもの」、「風、この憎むべきもの」−おそらく、これが人間の側から見た、風についての一般的な感慨であろう。
 しかし、風自体は神でも悪魔でもなく、その本質は、<絶対に依怙贔屓(えこひいき)をしない完璧な平等主義者>なのである。彼は空気の薄い所、気圧の低い所へ、その濃く、高い所から移動し、すべてを均一化し、平等化しようとしているだけなのだ。そのために、風は一刻も、その活動を止めない。その目配りと配慮と実行の持続には、早く、古人も気付いていたと見え、例えば、仏教では、「地、水、火」とともに「四大(しだい)の一つに数え、見えない風をも実在と考えている。そこでは、「動き」と「成長」が、風の本質・作用とされている。
 しかし、地上と部分から離れ得ない人間にとって、この霊妙なバランス感覚で動く風の意志を全的に捉(とら)えることは、むずかしい。地球の緯度や土地の起伏、海洋の広がりによって、その現われ方は千差万別だからである。
 南北極地に吹くブリザードやカタバ風と呼ばれる斜面下降風から、熱帯洋上に発生する台風、ハリケーン、サイクロン、あるいはトルネード、さらに、山越え気流によって生ずるフェーンやおろし、そして春一番から木枯しや海峡風までの強烈風……
 もっとも、人間は、そのような好ましからぬ悪風にばかりさらされているわけではない。海岸地方で、昼夜、交互に吹き変わる海風や陸風、野を吹く風は、快適な「そよ風」として歓迎される軟風だ。
 高温多湿のわが国では、この微風を生活の細部にまで取り入れ、活かす知恵と扱術が発達している。兼好法師が、
『徒然草』
家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き比(ころ)、わろき住居(すまい)は堪へがたき事なり。深き水は涼しげなし。浅くて流れたる、遙(はるか)に涼し。
と言ったのは、有名な話だが、日本家屋の場合、プライバシーを多少、犠牲にしても、夏向きに建てるのが、今なお、風土に通った賢明なやり方なのである。
 あるかなきかの微かな空気の動きを巧みに捉える日本人の消暑法は、家屋全体の構造から部屋の内部、庭の遣水(やりみず)の配置にまで見ることが出来る。扇や団扇(うちわ)は、微風を人工的に作り出す小道具だが、単に、それが生み出す物理的な風力だけでなく、扇面に貼る紙と布の質や色、そこに描く絵のデザインにまで、心理的な風の涼を演出している。それは欧米の文化には、全く見ることの出来ないものだ。
 また、風鈴の音色や簾(すだれ)の揺れにも、見えない風を捉え、感じようとして来た私たちの先人の意志を窺(うかが)うことが出来よう。
 与えられた自然条件と対決し、克服するのではなく、それを受け入れ、親しみながら、自らの生活の内に取り込むのは、日本人の伝統的自然観に基づくものだが、とりわけ、私たちは風との親和カが強いようだ。それは風の呼称に象徴的である。
 アメリカ人が、ハリケーンに女性の固有名詞を付けるのは、広く知られているが、日本人は、季節と風向、風力と作用、地形と場所に応じて、実に多彩な命名法を採用する。南風(はえ)、東風(あゆ)、野分(のわき)、春一番、アレ、タマ、いちせ、いなさ、やませ、やまじ、ならいなど、美しく親しみ深い名前が、全国に見られる。同時に、日本語には、風の脚、風の先、風の柵(しがらみ)、風の色、風の香、風の調べ、風の実、風の袂(たもと)、風の息といった、風の状態や動きを形象化、擬人化した表現が豊富なのである。
 しかし、現在、日本人の、このような伝統的な″風観″は、急速に変化しつつある。風の発生、規模、進路を測定・予測し、その害を防ぐ技術開発が進んだからだろう。人工衛星による観測と通信網の整備、鋼鉄とコンクリートの発明、プロペラによる人工風の創造が、現代人の、風に対する意識を変えたことは疑いない。そのために、私たちは、ともすれば、風の″気むずかしさ″を意識しないで過ごしやすいのだが、それなら、私たちは、例えば、風害を克服し得たろうか。いや、それをほんの少し減らすことに成功しただけなので、依然として、彼が自分たちを襲わないように念ずるしかないのである。そうだとすれば、昔の人々が、この見えないものの持つ力に畏怖して、祈り、祀(まつ)った、あの謙虚な心を私たちは見習い、受け継がねばならないのではなかろうか。
 風神に対する民衆の祈りは、富山県内では、砺波から新川の山中、山麓に点在する「不吹堂(ふかんどう)」に形を残し、二百十日の風の害少なきを祈った人々の願いは、八尾町の「風の盆」となって継承されている。順風と海上の平安を祈願した北前船頭たちの風への感謝の念は、港町の神社に奉納された絵馬や扁額に見ることが出来る。
 富山県は、幸運にも、いわゆる強風地帯ではない。全県的規模の風害の経験も、ほとんどない。
 しかし、南から西を大小の山脈に囲まれ、東方に聳(そび)える立山連峰から北側の海へ急傾斜で下る階段状の地形と、そのための急流河川が、この土地特有の局地的強風をもたらすことが多い。庄川水系や神通川水系に吹く井波風やダシと呼ばれる強風がそれだ。
 富山県の豊かな水と緑が、冬期の北西季節風のもたらす山岳地帯の大雪によることは、誰もが知っていることだ。
 だが、これらの局地風や大雪をもたらす寒風について、あるいは、それらが意味するものについて、私たちは、どこまで自覚化し、対象化しているだろうか。もしかしたら、私たちは、風一般ないしは、東京を中心とした太平洋岸の風の概念で、富山の風を見ているのではないだろうか。
 「寒い北風が吹いて、雪が深々(しんしん)と降り積もる」というのは、実は太平洋側の人々の体験に基づく思い込みであって、富山の地に住む私たちには当てはまらないことなのである。「富山では、雪が音もなく降り続いて、一晩のうちに1メートルも積もる時は、弱い南風が吹いているのです」と、永年、富山の風と雪を観察して来た篤学の気象研究家から聞いたことがある。専門の研究者も保証する事実である。
 私たちは、フィクションではなく、ありのままに、富山の風を見、素直に風の語りかけるものを聴くことによって、<風の真実>を知りたいと思う。そしてまた、富山の風が、富山の産業や人々の生き方の上に、どんな物質的、精神的、文化的な影響を及ぼしたのかも学びたいと思う。
以下、8回にわたる、この放送講座を通して、先人たちがどのように、風に対し、風を活かし、風を楽しんで来たかを、具体的に検証し、あわせて、風の未来についても展望したい。
 まず、気象学的観点から、山野や海に吹く風の実態と特徴を確認し、次いで、農漁業や人の暮らしと風の関係・影響を民俗・習俗の面から探り、同時に、風神、不吹堂など、人々の風に対する信仰の起源や歴史を解明する。さらに、砺波地方の屋敷林カイニュウや散居村の成立過程、ウダツその他に見られる町屋の構造や建築様式から、ビル風など、現代の都市の高層建築、街路、空地と風の関係までについても考察したい。
 転じてまた、富山の詩人や来遊文人たちが、この地の風を、いかに捉え、どのように、その作品に結晶させたか、文芸との風の関わりを、具体的な作品に即して跡付けてみよう。
 最後に、凧揚(たこあ)げを中心に、紙飛行機やブーメランから、近年、若者の間で流行のサーフィン、パラグライダー、ハングライダー、気球、ヨットにいたる遊具と風の関係を、現に県内で催されている行事の詳細を報告しながら明らかにしたい。
 風と遊び、風を楽しむことは、風と自然を知るための最も効果的な教育手段の一つでもあるが、それはまた、人類と風の未来の予言を促すだろう。子供の玩具に発し、オランダの風車を経て、アメリカのカリフォルニア州では、既に1万数千基の風車による風力発電が実現している。それらの電力は、直接、広大な農場経営に使用されているという。わが国でも、太陽発電の余剰電力を、電力会社と個人の間で売買することが、ごく最近、法的に承認されたが、風力発電でも、そうした可能性がないわけではない。また、一度は、その実用的価値を失いながら、120年経て、省エネルギーと地球環境保全に有効だとされ、再び脚光を浴び始めた帆走商船は、すでに何艘も洋上を走っている。
 私たちは、視聴者の方々とともに、風利用の未来、さまざまの風に託す夢を紡いでみたいと思っている。
(ぬのむら ひろし・高岡法科大学教授)
−平成5年1月23日放送−
※ 著者の役職名は、放送日現在で表示しています
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