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テレビ放送講座 平成12年度テキスト「第6回 伝承される民謡」


 富山県民生涯学習カレッジ本部   '01/02/24

TOP 第6回 伝承される民謡 矢後 秀絃

ふるさとに謡ありて 〜富山の民謡〜伝承しなくてはならなくなった大衆芸能
 いつの時代も若者は恰好のいいことをやろうとするものである。
 民謡に限らず、あらゆる大衆芸能を支えてきたのは若者である。現代でいえばロックやジャズなどがそれであろう。
 かつて三味線が恰好良かった時代があった。それがいつからか、若者から縁遠い楽器になり、今「伝承」の必要が叫ばれている。再来年から文部省学習指導要領が一部改訂され、中学校の授業に三味線をはじめとする和楽器が導入されることになっている。
 私は富山市の旧市街地で生まれ育った。かつて「東新地(あずましんち)」と呼ばれた街に隣接した場所だ。東新地とは遊郭や飲食店などからなる歓楽街、世にいう「色街」である。そうした街であるから清元や常磐津(ときわず)などがあふれていた。私は三味線に魅せられ、端唄(はうた)の先生から三味線を習った。当時、三味線を習いにいきたい、と親に言うと叱られたものだ。芸人は不良だと思われていたからだろう。三味線を教育委員会が推奨する現代から見れば隔世の感がある。
 現在、民謡をはじめ伝統芸能と呼ばれている芸能は衰退している、と言い切っていいだろう。民謡、浄瑠璃、日本舞踊など大衆芸能として発展してきた芸能を国がかりで保護しなくてはならなくなっているのだ。
 「うたは世につれ、世はうたにつれ」という。これは大衆芸能の盛衰を表している。恰好の良いもの、面白いものだと、若者たちが感じていれば、無理に伝承しなくても自然に今もあったはずだ。
 では、なぜ若者たちは日本の芸能に見向きもしなくなったのか。
 このことを考えなければ、これら芸能の「伝承」は難しいだろう。学校で、三味線や尺八の奏法を教えるだけでは、面倒な科目が一つ増えた−で終わってしまうだろう。
自らを縛ってしまった民謡
 「民謡」という呼び名は昭和の初めからだと、記憶している。それまで「俚謡(りよう)」と呼ばれることもあったが、ジャンルとして扱うことはあまりせず、「越中おわら節」「麦や節」などと、それぞれ個別に曲名で呼んでいたことが多かったように思う。
 また戦後、使われるようになった言葉に「正調」という言い方がある。この「正調」が生まれた背景には、大衆芸能である民謡を、伝統芸能と呼ばれるものに仲間入りさせてもらおうという考えがあったのだと思う。
 ご存じのように民謡と呼ばれている歌のほとんどは、他の土地の歌や説教、浄瑠璃、歌舞伎などさまざまな芸能が互いに影響し合う中で育まれてきたものだ。行商人や旅芸人、江戸・上方など都会へ行ってきた人らが持ち込んだ最新の流行、面白い歌詞や踊りを取り入れて自分たちの歌と混合、融合させた。
 現在、民謡の伴奏編成は三味線、太鼓、尺八が一般的だが、封建社会の農村部にそのような楽器が数多くある訳がなく、ある時期に浄瑠璃や新内(しんない)などを真似て取り入れたか、他の民謡に右倣(なら)えで三味線や尺八を使う編曲に変えている訳だ。
 そこには自由な感覚があったはずである。自分たちが演奏したり踊ったりする芸能に取り入れて、より楽しめるものに作りかえることに何の遠慮もなかった。その作りかえの担い手は、新しいことや恰好いいものに敏感な若者たちであっただろうと想像できる。「福光めでた」など「めでた」は日本全国にあるし、「新川古代神」の歌詞のまくらの部分も「八木節」をはじめ数多くある。現在、「正調」と言っているのは、長い間ずっと姿を変え続けてきた歌の、ある時期、ある時点を「正しい」型として決めてしまったものだ。自由であったはずの歌の広がりを、たった半世紀前に自ら窮屈に限定してしまったのだ。
 歌は世につれて変わらなくては価値がないといっているのではない。また、完成された芸能を否定しているのではない。
 古くから伝わる歌には当時の生活や風俗、昔の人たちの美意識や、ものの見方など歴史として学ばなくてはならないものが詠み込まれているし、残し伝えるべき素晴らしい節がある。ただし、それを「正」とするのではなく、「古調」とした上で、伝えるべきだ。
 同じく戦後、全国各地で始まった民謡のど自慢コンクールにも功罪の二面がある。
 かつて舞台に上がって人前で歌をうたえるのはプロの芸能人だけだった。人はだれでも歌は好きなものである。のどに自信のあるものは大勢の聴衆の前で、思い切り歌ってみたい、という欲求が昔も今もあるだろう。のど自慢コンクールはこうした欲求に応えたイベントだ。
 のど自慢コンクールはラジオ放送、後にはテレビ放送も盛んになり、戦後の民謡ブームの火付け役になった。民謡愛好者人口は増えていった。
 しかしながら、のど自慢コンクールは公衆の面前で歌うものであり、ましてや放送するものということになると、表現内容は制約される。エロチックなものや反社会的なものを描いた歌詞は一切排除された。また、この歌はこのように歌うべし、というコンクール向けの定型が次々に現れた。民謡を高級な伝統・古典芸能の仲間入りさせようという流れと一緒になり、民謡を無害で現実味のない芸能にしたのではないだろうか。
 民謡は本来、庶民の日常を映していた。どの土地の歌にも生活に潤いを与えるための笑い、男女の仲を描いたもの、社会に対する不満を表した表現がたくさんあったはずだ。若者たちはそれに共感し、また新作も生み出していったのだと思う。表現の制約が民謡を若者たちにとって魅力のない退屈な芸能にしてしまった、といえはしないか。
若者に伝承したい「感覚」
 明治〜大正〜昭和の初めまで、大衆芸能の王様は「浪曲」だった。私の同級生でも浪曲師になりたくて、親の反対を押し切って木村流に弟子入りした者もいた。
 浪曲は明治期に生まれたものだが、他の日本の芸能と同じように、さまざまな芸能が影響し合う歴史の中で出現したものだ。祭文、説教、浄瑠璃、ちょんがれなどの流れにある。芸の形こそ違え、室町時代あたりの中世から受け継いできた感覚を持つ芸能が、約半世紀前まで芸能の王様として大衆に受け入れられていたのだ。
 端唄という都会の音楽から三味線を始めた私も浪曲を楽しんだものだ。そして田舎のにおいがする民謡という音楽にも面白みや、ある種の粋すら感じた。これらは違うジャンルではあるが、どれも理解できた。共通の感覚があるからだ。今の若者たちは昔くさく、また退屈にさえ感じているだろう。この感覚は、半世紀前まで、ずっと日本人がもっていたのではないだろうか。
 私たちの生活はこの五十数年で大きく変わった。生活様式が短期間にこれほど変わった時代はかつて無かっただろう。民謡に描かれている風景はなくなり、地域社会や家庭での人間関係も変わった。民謡も含むかつての大衆芸能が描いている物事は分かりにくくはなっているだろう。しかし、中世から(中には古代から)時代の波を乗り越えて半世紀前まで受け継がれてきた芸能だ。現代っ子にも理解できるに違いない。
 歌われている内容、その背景を解説する努力が、まず必要だ。民謡の歌詞に登場する方言は別にしても、歌詞の意味が今の若者には理解しにくいであろう。民謡に限らず、歌舞伎や文楽など大衆文化として発展してきた芸能で使われている言葉は、かつて特別な教育を受けていない庶民でも理解できた言葉だった。それが今は若者に限らず分からない人が多い。また、そこに描かれている風俗の説明、時代背景などはいうまでもなく、芸能の鑑賞の仕方を伝えなくてはならない。
 また芸能は「悪所」と言われる場所を舞台にしたものや、アウトローの生き様や男女の恋愛などをテーマに扱ったものが多い。当然、民謡にもある。半世紀前に闇に葬り去った、この部分を避けては偏った歴史を教えることになる。今の若者たちが熱中しているロックなどがそうであるように、いつの時代も若者が関心を持つテーマだ。「臭い物にはふた」では駄目だ。昔の人たちも自分と同じようなものに感動し、同じことに悩んだのだなあ、という共感が現実味を帯びて迫ってくるはずだ。
21世紀への期待
 現在、私が理事長職を務めている北日本民謡舞踊連合会が主催する民謡大会には数多くの子供の出演者がいる。また、富山が誇る「越中おわら節」をはじめ北海道、東北地方、沖縄県には大勢の若者が積極的に参加している民謡がたくさんある。しかし、それは全体から見れば一部にしかすぎない。珍しいから皆が注目するのだ。圧倒的多数の人たちは民謡や他の伝統芸能とも、まったく接触することすらない生活をしている。
 「サツテモ節、のちに十日町小唄」「ちゃっきり節」など「新民謡」というものがつくられた時期があった。新民謡には楽しく、いい曲が数多くある。その土地その土地の名所や特産品などを歌詞に盛り込んだご当地ソングだ。これらを故郷の歌として奨励し、学校での踊り講習をするなビ普及に取り組んでいるところも多い。
 しかしながら全国的にみると、そもそも伝承する「唄」がないところが大半だ。
 自分の生まれ育った町に残っている歌がなくてもいい。日本全国に数多くある歌を我々の共通の財産として大切にすればいいのだ。
 学校教育は日本の芸能をほとんど無視し続け、西洋の古典音楽を中心とした音楽の授業を続けてきた。三味線を見たこともないという子供は多いだろう。その反省から実施されることになった和楽器の授業だが、その奏法を教えるだけではなく、接することがなくなった民謡など日本の芸能を鑑賞できる機会を多くつくってもらいたい。そこから芸能を通じての世代を超えたコミュニケーションにも期待したいものだ。
 若者たちが日本の芸能の素晴らしさに気づけば、21世紀には新しい民謡が次々と生まれるかもしれない。
(やご しゅうげん・北日本民謡舞踊連合会理事長)
−平成13年2月24日放送−
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