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テレビ放送講座 平成元年度テキスト「第4回 海上に気たちのぼりて」


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TOP 第4回 海上に気たちのぼりて 沢崎 寛

 幻となると、追いたくなるのが、人情というもの、日本列島でここだけとなるとなおさらのこと、その幻を追って足掛け17年の歳月が流れました。
 さて、日本列島の気象は、大陸から順次流れて来ますが、蜃気楼も、大気が移動してくる先へ先へと見ていけば、よそでも出現するところがあるのではないかと考えるようになります。
 文献を頼りによく調べて見ますと、出現するところは地球上のやや同じ緯度上にあることがわかってきます。
 そこで、蜃気楼は地球上の一つの気象現象でないかと思い、その出現位置を地球上に追って見ました。
地中海の蜃気楼
 イタリア半島の先端にある、レッジョデイカラブリアという町から、メッシナ海峡を隔ててシチリア島の方を見ると、この海上に蜃気楼が出現するといわれています。
 この地方では、フアタ・モルガナと呼ばれており、モルガン仙女(イタリア語でフアタ・モルガナ)が魔法の力で、空中に城郭を築くのだと信じられてきたといわれています。
 このほかに古い話になりますが、明治44年6月19日付の大阪朝日新聞に掲載された素川という人の渡英日記によれば、この日乃木希典大将や東郷平八郎大将が同じ船で地中海を航行中に、蜃気楼が出現し、観賞し合ったことが記されています。
山東半島の蜃気楼
 古くから、中国の山東半島の、昔は登州といったところの海上に蜃気楼が出現するといわれています。今の蓬莱(ポンライ)辺りの海上になると思われますが、今を去る904年前の元豊8年10月15日に、登州の知事として赴任したかの有名な蘇東坡が蜃気楼を見て、「登州海市」という長文の詩を作っています。
 この詩を作った日を新暦に直して見ますと、今の12月上旬に当たりますので時期と詩の内容から見て、蘇東坡は、今の浮島の現象(冬の蜃気楼と言っているもの)を見て作ったのではないかと考えられます。
朝鮮半島の蜃気楼
 朝鮮半島では、仁川(インチョン)の海岸で、年に一度か二度出現するといわれています。
 仁川(インチョン)や中国の蓬莱(ポンライ)の海には岩礁があり、これらが変化して蜃気楼像を作るのではなかと思います。
日本列島の蜃気楼
 次に、日本列島でみますと、北は北海道から、南は九州まで、いろいろ出現した話や、記録がありますが、今日、毎年同じ時期に出現するところは、富山湾であり、観測立地の良い場所としては、魚津市の海岸が最も良いようであります。
 以上のように見て来ますと、人が多く住まいし、地形地物が複雑で、蜃気楼が頻繁に出現するところは地球上の緯度から見ますと、北緯36度40分辺りから38度線までの間に集中しています。
 蜃気楼は、正に地球上の帯状の中に出現する気象現象として、捉えることができるのではないかと思います。このほかに、ヴィンズの現象として知られる、ドーバ海峡の空中倒像現象や、パリのセーヌ河に出現した倒像現象などがあります。また北海道網走地方の幻氷といわれるものは、流氷が岸から離れていった時に多く見られるといいます。また、サハリンのアニワ湾では、蜃気楼がひんぱんに出現するといわれています。
 最近は、北氷洋や南氷洋上に氷山がテーブル状になる蜃気楼がテレビから放映されています。これらは、いずれも、下冷上暖の気象条件によるもので北や南の洋上はこの条件が出来やすく、ひんぱんに出現するものと見られますが、いたって単純な形のものが多いようです。
広い意味での蜃気楼の種類
 広い意味での蜃気楼現象は、大正8年8月10日発行の「富山湾乃蜃気楼」によれば、
  1. 浮き上り現象(浮景又は浮島の現象)
  2. 逃水(地鏡又は水影)の現象
  3. 側方への光の曲進
  4. 遠近の変
  5. ヴィンズの現象
  6. 蜃気楼現象
の六つに分けられていますが、このうちの1と6について説明したいと思います。
1.浮き上り現象
 富山湾でも、11月の下旬になると、寒風が吹きすさび、初雪がちらつく事があります。このような日には、海水温が非常に温かく、その上を冷たい寒風が吹きすさびます。この時、陽光が差せば、浮き上り現象が発現します。
 魚津市から、黒部市生地浜を見たとき距離が手頃なためにこの現象が著しく、すばらしいものとなって現われます。
 下暖上冷の気象条件により、見掛け上は、対岸の地物が大きく伸び上がり、その下方の部分が海中に倒れ込み長大になって見えるもので、人々はこれを、冬の蜃気楼と言って観賞し合っています。像は順光のために、色彩が非常に豊かでありますが、変化にとぼしいのが春の蜃気楼と違ったところです。見掛け上の倒れ込みは、生地浜の先端に防波堤がありますが、その上の方の倒れ込みにより、防波堤が、空中に天狗の鼻のように突き出て見えることでもわかります。
 この現象もやがて降雪が多くなり対岸が白一色になるとともに、海水が冷たくなるため発現しなくなります。
 この現象は、全国至る所の海岸で見ることができる現象と思います。
6.蜃気楼現象
 文献に見る蜃気楼
 日本の文献に出て来る蜃気楼現象について述べますと、日本列島でも広い意味での蜃気楼現象 は、相当以前から知られていたようです。今から約1,000年あまり前の、弘法大師が書かれた性靈集と言う本に次のように記されています。
 「遅々たる春日風先づ動き、陽焔紛々曠野に飛ぶ、譽体空々あるところなし、狂児迷ひ渇して途帰るを忘る。遠くして水に似たれども近くして水無し、走馬、流川いずくにか依らん。」と、これは武蔵野における逃水の現象を詠んだもので、砂漠の蜃気楼と同じ原理によるものです。
 さて、魚津の蜃気楼を取り上げたもので、一番古いと思われるものは、今から約425年前に、戦国の武将上杉謙信(当時、長尾輝虎)が部下の将兵と共に魚津の浜で蜃気楼を賞し合ったことが、肯搆泉達録に記されています。文面は、
 「永禄七年五月下旬、魚津の海上に蛤の城を造るを見ると言ひ、男女老若集りて市をなす。是は蛤の気を吐くにこそあれ、中華にも所謂蜃楼是なり、又支那登州の海上に春夏の間此気あり。城郭市依稀として人馬の往来絡繹たり、土人呼んで海市といふ。又、西域にも相類する事あり、旭日出る時紅暉天に映して楼門、宮闕、官人などの出入するを見る。之を乾達婆城といふ。惣じて乾坤の間、陰陽造化のなす所、測り知るべからずといへり。魚津海上の蜃楼、日本には希なる事なりと、この節、輝虎、本庄繁長・柿崎景家を始め諸士、馬を駐めて賞し合へり。」というものです。
 以後、文献には度々出て来るのですが、第11代加賀藩主前田治脩(はるなが)公が参勤交代の帰りに、魚津の浜でこれを観賞し、その出現図をおかかえ絵師に書かせたものが、現在の金沢市立図書館に保存されています。蜃気楼を写生した絵図として、大変貴重なものとなっています。
 この絵図は、7枚からなっており、一番最初の台紙になったものに魚津浦から見た富山湾を描き、その上に変化していく蜃気楼を、6枚の絵に描き分けて、これを一枚づつ重ねて見るようになっています。この絵図の右すみの方に、喜見城之図として、次のような説明が記されています。「寛政九年卯月四日、江戸御発駕(金沢侯)同十三日、越中魚津之御旅館二御着也。申の上刻時より、御旅館御庭の向ふ岩瀬浜の森に当て、喜見城立。未の中刻より酉の上刻に及ふ共体、霞のたなひくか如し。其内に或は楼、或は屏、或ハ橋と見ゆるも、しハらくにかはる故に、初めに喜見城たゝぬ所を画き、是に重ぬるに喜見城の形をなす処を以てす。故に喜見城たたぬ所を見てさて一枚あて重て見る事なり薄墨色の処ハ皆此気なり。初は形をなさす、共の次は少し形をなす。其次亦形を変する事、図の如し。然れは、其形たちまちにかわる事なれは目をとゝむへからす。猶此外にも色々の気色もやう見ゆ。私とも筆にも画き難く、言葉にも及はぬなり。又かくの如く次第にて立にもあらす。只大禄を絵図に仰付玉ふ也。」
 実見による文面は、刻々変化する蜃気楼を、よく言い表していると思います。
肉眼で見る蜃気楼
 蜃気楼の出現を、魚津市から見た場合、滑川市高月海岸から、富山市草島の・富山火力発電所方面にかけて、中が白く透けて見えるような白光帯の逆転層ができます。この逆転層は、富山新港や、氷見市街までも、もっと良好な日には、富山湾全体にかけ出現します。
 蜃気楼は、この逆転層の中へぼつぼつと現れるのが普通です。これは、富山湾外から陸地に向かって吹く風と、立山連峰から流れ出る雪解け水と、地下浸透して海中に湧出している雪解け水の冷水が作用して、その海面上に、魚津方面が始まりとなった曲線のレンズができ、これを通して対岸の景色や、船舶などを見るため、物像がいちじるしく引き伸ばされて長大に見えたり、あるいは正像の上に倒像が、またその上に正像がといった三重構造の蜃気楼像となって現れるものです。この逆転層があまりに高いと、像を結ばなく、あまり低いと、蜃気楼らしくなって見えません。
 適当な高さは、魚津市から見た場合、高月海岸の松林の上端を少し残した位と、富山火力発電所の壇突の中間位までの高さが一番良いようです。ちなみに富山火力発電所の煙突は、地上163メートルあります。
 陸地から風が湾外に向って吹く場合は、富山市の海岸から見ると、黒部市や、魚津市の海岸の地物が蜃気楼現象を呈します。
○蜃気楼の観賞
 富山市の海岸や、黒部市、滑川市の海岸と、いろいろ移動して観測を重ねてみましたが、手ごろな大きさと、幻想的な蜃気楼像を見るには、富山湾全体が見渡せる、魚津市の埋没林博物館の海岸が一番良いと思います。(富山方向を見た場合逆光になる。)
 ちなみに、この辺一帯は、魚津市の名所蜃気楼展望地点に指定されています。
○いろいろな蜃気楼像
 昭和49年から今日までに、長短合わせて108日(1日に数回出没することもある)の蜃気楼を観測しました。
 その中から、めぼしいものをあげてみましょう。
 海中に氷柱群が=普通蜃気楼は、遠い対岸に出現するものと考えられていますが、時によってはすぐ近くの海面上にギラギラ輝く、高さ2メートル位の氷柱群となって、立ち並ぶことがあります。また、まれには海面上にチラチラと無数の五色の氷柱が立ち並ぶこともあります。
漁船が二ツに割れる=生地浜の海上では、よく船が蜃気楼の中にはいり、蜃気楼となったまま航行することがあります。この日は、1隻の漁船が頭合わせの二重構造になりながら、外洋に向って進行していくうち、突然それが真中で二ツに割れ、四ツになりながら航行してだんだん見えなくなっていきました。
運搬船が3隻重なって運航=埋没林博物館の海岸から、正面の海を見た場合に、右手に当る方向に船の変化した蜃気楼が多く見られます。
 昭和55年6月6日には、マストが逆転層いっぱいに伸びたタンカーが航行していくうちに、だんだん変化をはじめ、正像の上に倒立像がまたその上に正像がと、三重構造の蜃気楼となって航行していくのが観測されました。
屋上に無数のアンテナが=魚津から富山方向を見て、一番目につき易いのは、富山火力発電所の煙突とボイラー棟であります。
 時によっては、ここから蜃気楼が始まることがあります。特にボイラー棟の上に無数の竹竿か、テレビのアンテナを立てたようなものが出来、逆転層の上部から下の方へだんだん伸びて下がり、最後にボイラー棟と一体となって、大きな蜃気楼となることがたびたびあります。
 林立状のものがニョキニョキ=蜃気楼は、その出はじめが一番変化に富んでいて面白いと思います。富山方面は逆光のため、黒か、ブルーの一色になって見える事が多いのですが、電柱状のものが無数にぐんぐん立ち並び、これが横に連なったり、上端が切れて宙に浮いたり、鉄橋や橋げたのようになったりいろいろ変化します。
ナイヤガラの滝=蜃気楼は、常に上端が切り揃えたようになるのですが、まれには上端がでこぼこの不揃(ふぞろ)いのものもあります。私が、ナイヤガラの滝と名付けているものは、浜黒崎あたりの民家の屋根瓦が反射光で、ギラギラ輝き、長大に伸び上がり不ぞろいで、ずらっと並び、ナイヤガラの滝のようになって見えるもので、まことに壮観といえます。
 蜃気楼は、その立ちはじめが一番変化に富んでおり、はしめて見る人は胸がどきどきするものです。
 刻々変化する蜃気楼も、やがては、べったりとした幕をたれ下げたようになって、冷たい風がひと吹きすると、す−と消え去って跡形もなくなるのが常です。
観光と写真撮影
 最近、全国各地からその幻を一目見ようと、写真機を持っておいでになる人が多くなりました。まだ出現の予報が出来ないのが残念ですが、4月の上旬から6月の中旬にかけて、晴天の日が続き、明日あたり雨、と言う日の前日に出現することが多いようです。テレビの天気図で、一方の高気圧が太平洋の仙台沖当りにあり、日本海にある高気圧とで日本列島を挟んだような天気図の時が一番良いものが出現しているようです。
 自然をスクリーンにして出現する壮大な蜃気楼の変化や、その面白さを見るためには、10倍位の双眼鏡の使用をおすすめしたいと思います。
 また、写真撮影には、カラーが良く、600ミリ位の望遠レンズのご使用をおすすめしたいと思います。
 最後に、我々の周辺では、常に自然環境の変更が行われています。河川の冷水をダムでせき止めたり、工業用水のために流路を細分変更したり、そのためだんだん蜃気楼も出現しにくくなっていると思います。昭和49年までの10年間は、高度経済成長のため、工場群から吐き出されるばい煙により蜃気楼もかき消されていたと見ています。
 私は、すばらしい蜃気楼が出現する大自然を、そのまま子孫のために残してやりたいものと念願しています。
(さわさき ひろし・元魚津市生活環境課長)
−平成2年2月3日放送−
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