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テレビ放送講座 平成4年度テキスト「第2回 山の風、野の風、海の風」


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TOP 第2回 山の風、野の風、海の風 吉田 忠孝

富山県の地形
 風は虫や草木に季節を告げるだけではない。古くから動物の本能をくすぐると考えられていた。紀元前600年頃、中国の北の国、斉が遠く離れた南の国、楚を攻めようとしたとき、楚の国王が斉の国王に送った使書の中に「風する馬牛も及ばず」としたため、「全く関係がない」ことに用いている。この風するは相手を求める雌雄の馬や牛が遠く離れていてはどうにもならないということである。
 風というと、空気が地面に対する相対的な運動をいう。方円にしたがう水は液体だが、更に密度の小さな空気は気体で、流れをはばむ塀を越え、山を登り、ビルを回り、いわゆる風向や風速は大きく変化することができる。この風はその土地特有の特徴をもち、固有の名称が生まれる。これを局地風という。そこで県内の局地風を述べる前に県内の地形を把握しておかねばならない。
 富山県は西に丘陵、東と南に山地をめぐらし、北は日本海に向かって開いた半盆地状の形状をしている。東の山地は2,000mから3,000mの標高をもつ飛騨山脈の北半分であり、南は1,500mから1,700mの比較的起伏のゆるやかな飛騨高原の北縁部にあたる。これらの山麓部には東部丘陵と中部丘陵が発達している。いずれの丘陵も500m以下で、多くは100mから300m程度の低平な小起伏地であり、それぞれ小河川によって細かく刻まれている。これらの丘陵の縁辺部には、しばしば河岸段丘、海岸段丘、隆起扇状地からなる台地が発達し、しだいに平野部にうつり変ってゆく。
 平野は県中央部の呉羽丘陵によって、いわゆる呉東の富山平野と、呉西の射水平野、砺波平野に分けられる。富山平野は神通川、常願寺川やそのほかの河川の扇状地として発達したものであり、砺波平野は庄川、小矢部川の扇状地である。このほか黒部川の扇状地、および射水・氷見の海岸平野がある。
 富山湾は、水平的にも垂直的にも日本海側最大の湾入である。西方には日本海に大きく突出した能登半島が湾を深く抱えこみ、北から北東方向にかけて開いている。日本海の1,000mの水深が奥深く侵入し、しかも海底地形は複雑となっている。県東部では海岸から急に深く、県西部は比較的に遠浅となっているが、庄川洋谷・神通洋谷などが海岸近くまで来ている。
局地風
 日本の民俗には風を祭る風習が各地にある。作物を風害から守るために祈るもので、風神堂や風の宮が方々にあって風祭(かざまつり)がおこなわれている。
 富山県には「ふかぬ堂」と呼ばれる風神堂が十数ケ所も残っている。各地の例祭は旧暦の6月から7月に多く、現行暦の7月から8月で、稲が育ち、台風が来襲し始める時期にあたる。
 台風がくると、全般に強い風が吹くが風の強さは場所によってずいぶん異なる。例えば同じ規格で建てられたたくさんの家が並ぶ団地でも、風害の大きいところと、小さなところがある。これは風の乱れ(竜巻など)による偶然のこともあるが、多くの場合は地形の関係で、強い風が吹きやすい区域で被害が起きている。風神堂も局地風の強い地域に祭られている。
 局地風には海陸風や山谷風のように、日変化をもつ局地的な大気の循環による風系があるが災害を起こすような強い局地風は、台風、温帯低気圧、季節風の吹き出しなどによって、すでに広い範囲で強い風が吹いている時に、その風が地形の影響によって局地的にさらに強まる場合に起こる。このような強風を成因的にみると、ジェット効果流と「おろし」に大別される。
 ジェット効果流は細長い谷間を吹きぬける際に、気流が集まってきて、風が強まるものである。岬や尾根で風が強いのも、流線がそこで上下方向あるいは水平方向に収束するためである。庄川の谷間を庄川町から砺波平野に吹き出す強風や、神通峡谷を大沢野町に吹き出す南よりの強風は昔から「クダリ風」とか 「クダリ」といってジェット効果流である。
 「おろし」は山の斜面を吹きおりてくる強風のことで有名なものに「赤城おろし」とか「六甲おろし」があるが、県内では西部で井波の「八乙女おろし」や福光の「医王山おろし」、高岡の「二上おろし」があり、東部で「立山おろし」や剣御前から雷鳥沢へ吹きおりる「御前おろし」などがあり、山の名を冠して呼ばれることが多い。「おろし」が強風になるのは、風上側や吹きおりる斜面でジェット効果流となっていたり、風下側におこる山岳波の振幅が大きくなり、上空の強風が大きく波打って地上にとどくためと推定される。斜面の上の台地に夜間の放射冷却などによってできた冷気が斜面を急に落下するために強風になることもある。重力によって起こるものであるから、重力風と呼ばれる。滑川市の中加積地区で冬期、夜間に晴れると、しばしば発生する。斜面を吹きおりる風には「ボラ型」と「フェーン型」とがある。一般に斜面を吹きおりる風は断熱収縮によって昇温し、乾燥するが、山麓に吹きおりた時に、それまでそこにあった空気よりも冷たい場合を「ボラ型」、暖かい場合を「フェーン型」という。(ボラもフェーンもヨーロッパの局地風の名前)。
 フェーンは山を吹きこえて風下側の山麓や平野に吹きおりてくる乾熱風のことであるが、この成因は山の風上側で水蒸気を雨や雪で落とし、しかもその際に放出された擬結の潜熱をもったまま風下側に吹きおりて断熱昇温するためと考えられる。春や夏、日本海を発達した温帯低気圧や強い台風が通るとき、これに吹きこむ南風が日本海側の地方にフェーン現象を起こし、ナダレ、雪どけ洪水、大火事の原因となることがある。なかでも富山県は南に日本の屋根と云われる山岳地帯をひかえるだけに典型的なフェーンの常襲地域である。
 一方冬の季節風は日本海の地方に大雪を降らせ、太平洋側の地方にはカラッ風となって吹きおり、フェーン現象を起こす。日本列島に北西方から吹きつけてきた寒冷な空気も風下側で昇温するが、そこに以前まであった空気よりも冷たいことが多いことからフェーンとは呼びにくい。むしろ「ボラ型」の風である。県内では「二上おろし」「御前おろし」は「ボラ型」である。
春の風
東風吹くや雨のにほいの夕曇 (鶴英)
 東風と書いて「こち」と読ますが、春風を「こち」と読ますことがある。連日雪模様で青空の無かった北陸では、この風が吹くと春を意識する。たしかに2月、3月と暖かくなるにつれて北東の風が南西の風に匹敵するようになる。「東風は雨」という晴天続きの太平洋側に比べ、北陸では雪が雨に変わり、寒さが抜けることでほっとする。新湊付近ではこれを「アイの風」と呼ぶ。強い北東風を「オオアイ」、北風を「マアイ」北西風を「ノトアイ」と呼び、漁師は「オオアイ」が吹くとシブ(まぐろ)が回遊するといって喜ぶ。もちろん沿岸は大荒れとなる。
 何といっても北陸に春を告げるのは「春一番」である。昔から九州の壱岐の島の漁師は春になって最初に吹く強い南風を「戒めの言葉」として春一番と呼んでいたようである。それが最近では広く春を呼ぶ風として昭和38年ごろから全国的に定着してきた。天気図では日本海を発達しながら通る低気圧やこれに伴う顕著な寒冷前線などによって吹く南の強風である。県内では、この南よりの強風が背後の山岳から吹きおり、典型的なフェーン現象となり、春を運ぶ。
 「春一番」の目印は立春から春分までの期間に、日本海を低気圧が通り、8m以上の南よりの強風が吹き、気温も10度以上に上ることである。富山で平年の「春一番」は2月26日となっているが、早いものには昭和60年2月10日がある。また、風速の強かったものでは昭和26年2月22日に19.7mの南風を記録している。この典型的なフェーンを伴う南よりの風は富山県の局地風といえるが、春や夏から秋の台風期に強い。俗称「クダリ風」として、八乙女山から吹きおりる「井波の私風(わたしかぜ)」、神通峡谷から吹き出す大沢野の「クダリ風」は顕著である。
 春はまた強風の季節でもあり、強いフェーンはしばしば大火につながる。100戸以上焼失した大火も4月、5月に集中しているのもフェーンが原因となっている。昭和21年4月18日には四方で400戸、昭和16年4月16日には新湊市で499戸が焼失している。井波町では、「クダリ風」が吹くと火をつかわない習慣が今も残っている。富山の最大風速の記録は昭和22年4月1日の南南東の26mで、台風による暴風もこの記録を破れない。
 また、昼の時間が長くなる春から初夏にかけて、晴れた日には西南西の風が日中強まる。俗殊「ヒカタ風」と呼んでいる。「ヒカタと雇人は日限り」のことわざどおり、夕方になるとピタリとおさまる。万葉集の歌(巻七・一二三一)に
 天霧(あまぎ)らい日方(ひかた)吹くらし みずくきの おかの水門(みなと)に波立ちわたる
これは九州遠賀の港に「ヒカタ」の風が吹いているのか、波が立っているという歌だが、「ヒカタ」の言葉の歴史はずいぶん古い。「ヒカタ」の風の分布は日本海側が主であるが、富山平野の日中の昇温も手伝って地形が吹かせる局地風である。
夏の風
青嵐電車の音と家に来る(誓子)
 青嵐(あおあらし)は緑が濃くなり、風薫るころに吹く強風をいうが、風害をもたらすほどではない。太平洋高気圧が次第に強まり、梅雨前線を北に押しあげるころ、前線上の低気圧の通過で吹く強風である。太平洋高気圧から吹き出す季節風は南風が主体で、県内では南西風となる。わけても半盆地の地形では夏になると海陸風が卓越する。海陸風は穏やかな風で豊かな越中米を育てる。
 終日、晴天が続き低気圧や前線に影響されない日を選んで調べた海風の主風向は図のように地形に左右される。全般に北東風だが、氷見は東風となり、富山は北北東である。谷沿いの上市では西北西となる。海風の平均風速は東部沿岸で強く、泊で3.5mにも達するが、山沿いでは2m以下となる。日中はこの1.5倍から2倍と強くなる。
 一方、夜には陸風に変り、南よりの風となる。氷見では西風となるが、魚津、泊では南東の風で河川の流れに沿う地形風となる。陸風の強さは海風に比べ弱くて、その半分位となるが、東部海岸で強く、泊では2mである。北前船は日中この海風を受けて岩瀬港に入港し、陸風を利用して錨(いかり)をあげたといわれる。
 この風の交替期が朝凪(なぎ)、夕凪である。それではその交替時期は何時ごろだろうか。海風は南部山沿いの八尾や東部海岸の魚津、泊で早く吹き始める。いずれも山沿いの地域である。砺波地方は遅いが10時までには海風となる。陸風も山沿いの八尾で午後7時から始まり、伏木から砺波地方にかけて夜半となる。この遅くなる原因は宝達山系を境にした加賀地方の海陸風の干渉と考えられる。
 またアルペンルート開通も手伝って、立山への入山人口は、夏季100万人を突破するようになった。夏の立山室堂(約2,500m)の6月と9月の風向と風速を平均してみると、6月は梅雨期だが、風向は南から西そして北までの半円にほとんど集約されるが西風の頻度が高い。風速もこれに準じて西風が強い。ところが、9月は北西風が卓越して、風の強いのは、むしろ反対の南東風である。
秋の風
日の入や秋風遠く鳴ってくる (漱石)
 初秋から中秋のころの晴れた日の北よりの風を「青北風(おおきた)」という。空も海も青く澄んでくるからである。
 ところで、平安文学に出る台風のあらしのことを野分(のわき)と呼んだ。しかし、明治に入り国木田独歩の「武蔵野」に出てくる野分や、夏目漱石の小説「野分」は台風でなく、「木枯し」である。台風という名称は、わりあい新しく、大正に入ってから一般に使われるようになった。平成3年9月27日夜半、台風19号が、下関付近を通り、日本海を勢力が衰えないままに北東進した。28日午前2時頃、県内に最接近して、小矢部市の大火や農作物に大被害を与えたことは記憶に新しい。
 さいわい富山県は沖縄や西日本に比べ、台風による被害は少ない方である。これは、南から北上する台風が、本土に上陸すると勢力が幾分弱まるからである。台風の被害が大きいのは、大阪湾を北陸線沿いに北東進して県内を通過する場合である。昭和25年9月3日のジューン台風が伏木で記録した南南西、29.5mの暴風は今も記録が破られない。
 平成3年の台風19号もそうであったが、昭和31年9月10日にも台風12号が日本海を通過した際、猛烈な強風とフェーンにより魚津大火が発生し、1,775戸が焼失した。このコースの台風を「風台風」と呼んでいる。
 また、昭和34年9月26日の世紀の台風といわれる伊勢湾台風は伊勢湾から新潟県に抜け、風雨が強く、立山で300ミリの大雨が降った。このコースの台風を「雨台風」と呼んでいる。
 台風の大きさや強さにもよるが、県内で10m以上の暴風を吹かせる台風のコースとその風向は図のように要約される。日本海中部は南より、北陸付近は西より、太平洋岸は北東の暴風となる。
冬の風
海に出て木枯し帰るところなし(誓子)
 木枯しは紅葉を吹き落とし、木々の梢を裸にする。木枯し1号は平均的に立冬(11月7日頃)のころ吹くことが多い。西高東低の冬型気圧配置が現れ始め、気温が一段と下る。太平洋側では「赤城おろし」とか「六甲おろし」で冷たくて、強い北西風で確認できるが県内では屏立する山岳のため、逆に弱い南西風となり木枯しは認めにくい。これは富山の風配図からもわかる。10月まで北東風が10%あったものの、11月は5%で逆に南風が伸長する。
 しかし顕著なものに、いい伝えられてきた11月27日の「オシチャサマアレ(お七夜様荒れ)」がある。浄土真宗大谷派の門徒衆が集まって親鸞逝去の命日の前夜、遺徳をしのぶ日であるが、決まって大荒れとなることが多いので名付けられたのである。たしかに、平滑化しない毎日の平均気温をみても気温の下り方が大きい。日本海を低気圧が猛烈に発達して通り、前線が通過して雷が鳴り、海上では大しけとなる。沿岸に張った定置網に回遊した鰤(ぶり)が獲(と)れる。これは大しけの日本海から静かな富山湾に逃げこむ小魚を追って鰤が回遊するからである。北陸特有のこの冬の雷を、一名「鰤おこし」ともいっている。天気図上の強い北西の季節風も県内では地形による変位で西よりの強風となる。暴風雨の一両日後、上空に寒気が流れこみ、南風に変り平野部でも初雪をみるので、この荒れを「雪ダシ」とも呼んでいる。ちなみに富山の初雪の平年は11月27日である。
 また、1月15日の夜は本願寺派の御満座である。暦の上では、寒中で1週間後は大寒に入る。このころも決まって寒波の来襲がある。38豪雪もこの日に始まった。真宗王国の越中ではこの大荒れを「ゴマンザアレ(御満座荒れ)」と呼んだ。この寒波の後に大雪となることが多い。
 ここまで県内の局地風を中心に特有の風について見てきたが、最近、地球の温暖化が論議され、国際的にもこの対策が立てられるようになった。気温の都市化現象も加わって、戦後から年の平均気温が東京、大阪で0.5から0.6度も上昇し、富山でも0.2度高くなった。シュミレーションでは北(南)極が暖まり、赤道付近との熟交換が弱まる。したがって中緯度では低気圧や前線の活動が弱まり強風の場も縮小されることになる。富山の年の最大風速の変化図でも戦後、次第に小さくなってきた。これはいちがいに喜んでばかりはいられない。
参考文献
  • 富山の気候(50年報)=富山地方気象台
  • 創立100年誌=伏木測候所
  • とやまのお天気=富山地方気象台編
  • 芸文とやま(20号)
(よしだ ちゅうこう・元福井地方気象台長)
−平成5年1月30日放送− 
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