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テレビ放送講座 平成元年度テキスト「第5回 青い炎 =ホタルイカの謎=」


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TOP 第5回 青い炎 =ホタルイカの謎= 坂下 顕

ホタルイカの季節
 春霞がたなびく4月頃から夏の訪れを感ずる6月にかけて、好天続きの波静かな午後に限って、対岸沖合の水平線上に、たびたび蜃気楼が現れてくる。この富山湾の自然そのものの演出による真昼の不思議を見せる蜃気楼の季節は、深海性発光動物のホタルイカの産卵群遊の季節でもある。
 初夏への潮の香も漂い、夜光虫が渚の小波に光を散らす静かな夕凪の海では、深海で交接を終えたホタルイカの雌が低水温、高水圧の海底谷の谷間をつたわって表層近くまで来て、子孫を残そうとする本能に促され、生きる力をふりしぼって、産卵のための大群遊が始まる。これも、降雨や波浪のある天候の悪い日を除いて、3月末から6月末頃までの数か月間、夜ごと繰り返される様は、種族保存の尊さをまざまざと感じさせてくれる。ときには、海谷の多いすり鉢形の海底からの湧昇流に押し上げられ、あまりにも渚に寄り過ぎて浜辺に打ち上げられて、ホタルイカの身投げとなる。最も発光力の強い腕を振りまわし、体をふるわせて発光させて悶える様子は、暗い浜辺に燐光の宝石の転げまわるのに似て、富山湾の神秘さとロマンチシズムさえ感じさせる素晴らしい奇観である。夜も深まろうとする頃には、遠方からマイカーで訪れた人達や、たも網を持った人達で浜辺は賑わい、岸へ泳ぎ寄ってくるのを掬いあげ、素晴らしい発光を実感して歓声があっち、こっちであがる。
 この頃になると漁場は一段と活気づいてくる。ホタルイカ漁の定置網が十数も敷かれる。まだ薄暗い早朝に漁船にかがり火がたかれ、軽快なエンジン音を響かせた発動機船に引かれて沖合に向って行く。やがて声をかけながら網を手繰りあげていく。網が引きあげられるにつれてホタルイカが姿を現して泳ぎ始める。茶褐色の半透明な体のホタルイカの大群が上がってきて、慌てふためいて網の目にしがみついて発光する。海面は燐光の光炎と化し、たも網で掬いあげられる度に、素晴らしい青色の火の玉となって船にあげられ、キュー、キューと音をたてて、船上は転々と転がる青色の光で一杯になる。獲れたホタルイカを積んだ運び船が漁港に向かって去ると、次の定置網へ船が移って、再び網あげが始まり、やがて立山連峰が明け始める午前6時頃にはホタルイカ漁の一日が終わり、各加工場にはいっせいにホタルイカを茹であげる湯気とにおいがたちこめる。
名前の変遷
 ホタルイカは分類上では軟体動物門、頭足綱、ツツイカ目、開眼亜目、ホタルイカモドキ科、ホタルイカ属に属し、体はスルメイカに似ている。雄は胴長4センチ前後で、雌はひとまわり大きく、6センチ前後で、イカの仲間では小形で、昔から「コイカ」「マツイカ」と呼ばれている。
 今から400年前の天正13年(1585年)に滑川の四歩一屋四郎兵衛という人が、縄で作った藁台網でとったのが初めてといわれている。これが今日のホタルイカの定置網の先達であり、現在でもホタルイカ漁専門の網は一部を除いて藁縄が使われている。昔は磯の浜も広くずい分捕れ、身投げも度々あり、あまりにも捕れすぎ勿論冷凍技術も加工法も充分でなかったので、田んぼや畑の肥料にしたり、それでも多くて浜辺に捨てられていたといわれている。また、発光イカにもかかわらず、学会にも知られず、青い炎のような幻想的な発光の海や浜辺は地元の漁業者のみしか知らなかったということは全く奇跡のように思われる。このイカを最初に研究したのは安政5年(1858年)西川藤吉博士である。当時は、フランスのジューバン、イギリスのホイム、ドイツのフェッカーやタウン等の博士がマダガスカル島で、アメリカ探険船アルバドロッス号が中央アメリカ太平洋や、地中海等で採集された標本を形態上より調ベアブラリオプシス属のイカは発光するとして学会に紹介しており、この発光イカと同一視してアブラリオプシス・ニシカワエ・西川イカの名を与えた。
 明治38年(1905年)にホタルの生態や分布を研究していた渡瀬庄三郎が富山湾に光るイカがいることを聞いて、滑川から海上にでて、このイカの発光の壮観さに驚いて「ホタルのように発光するイカ」として「ホタルイカ」と和名をつけた。丁度、日露戦争で日本海軍がバルチック艦隊に大勝利した翌日の5月28日であったといわれている。その後、富山湾に世界に例のないほど驚異的に多産していることを学会で発表したので、次第に世に知られるようになった。しかし、新種の発光イカであることを発見しながら、学名をつけなかったので、その後、明治44年(1911年)にアメリカのべリーが日本から送られた標本を研究し、当時、地中海で発見された同じ発光イカの仲間に属する新種の発光イカとして、発光(シンチルランス)の意をとってアブラリオプシス・シンチルランスと学名をつけた。また、その頃、石川千代松博士より、ジョルダンやフェッカーに送った標本を調べて新種であることがわかり、石川博士の名前をとって、アブラリオプシス・イシカワエの学名をつけた。しかし、後になってフェッカーよりべリーが学名の記載が早かったので、ホタルイカの学名は、アブラリオプシス・シンチルランス・べリーとなったのである。しかし、大正2年(1913年)石川千代松博士が雄の形態を調べていて、右側の第4腕が生殖行動のとき重要な異形腕(ヘクトコチルス)即ち生殖腕となっていることがわかり、アブラリオプシス属のものは左腕が異形腕であることから、アブラリオプシス属と区別して、別属、別種の新種として、渡瀬博士の功績を記念して、ワタセニアの新属を設けて、「ホタルイカ」を、ワタセニア・シンチルランス・べリーと命名し、半世紀以上もかかって世界的珍奇な海洋発光生物の学名が永く記載されるようになったのである。
発光器の構造
 この頃から、ホタルイカに関心が一躍高まり、国内外の研究者が滑川や魚津を訪れた。大正5年(1916年)には旧の魚津水族館が東京帝国大学水産動物研究所に指定され、アメリカ、プリンストン大学の発光生物学者だったハーベー博士が水族館に数か月も滞在して、発光生理学上の研究を行った。また、佐々木望、正路倫之助、柿内三郎、林外男、ダールグレーン等々諸博士によって、分布、形態、生態、発光生理等の多くの研究が始められた。
 ホタルイカの発光器は、腕の先にある大きな黒色粒状物や頭部や胴部などの多数の小黒点、眼の周りの白い粒状物が発光器で、すべて腹側にあって背中側にはない。この発光器は、開口部がなくて外界と通じない閉鎖型の発光器で、構造から腕発光器、眼発光器、皮膚発光器の3種類に区別されている。
 腕の発光器は、第4腕の先端に直径約1ミリの卵形で3個ずつ一列に並び、これが最も強力で明るく明滅しながら光る。眼の発光器は、眼の周りの腹側に真珠光沢を帯びた半球形で5個ずつ並び、絶えず弱い光を発している。皮膚の発光器は、直径0.2ミリほどで最も小さく、第3、第4腕、頭部、漏斗(水管)及び胴部に点在し、その数は700個以上あり、刺激を受けると微光を放って体形を浮きあがらせるほどである。これらの発光器はそれぞれ異なった組織構造をしている。最も強力な発光をする腕の発光器では、発光組織層(発光物質)の前には光を集めて強くするレンズの働きをする組織層があり、それをとりまいて暗幕装置の働きをする黒色色素層がある。これと反対側に光を反射させる働きをする組織層があり、栄養や酸素を補給する血リンパ管と、収縮、伸張等の刺激を伝える神経組織からできており、光学的にも実に精巧な組織構造である。ホタルイカが刺激を受けると神経系統の作用で暗幕装置の働きをしている色素層が収縮魂状になって開き、反射された光をレンズの働きをもった組織で光で集めて放射する。非常に精巧な各組織の連携によるもので、完全な無熱の冷光である。
発光物質と発光の仕組み
 ホタルイカの幻想的発光の発光本態や発光の仕組みの謎を追って、解剖学的に、組職学的に、細菌学的に、免疫学的に多くの人達によって研究がなされた。特に昭和2年(1927年)から、昭和4年(1929年)にかけて発光本態がクローズアップされ、発光器から発光バクテリアを培養したとする島権次郎博士の「発光バクテリア共生発生説」と、林外男、岸谷貞次郎、矢崎芳夫諸博士による「発光物質発光説」の賛否二派の論争が行われた。のちにダンゴイカやミミイカの共生発光の研究が進み、このイカ類のように、外界と通路のある開孔型の発光器をもつイカの仲間では外部から発光バクテリアが入り込んで発光し、閉鎖型の発光器をもつイカでは自力で発光物質を作って発光することがわかってきた。
 その後、各国の発光生物の研究者達は競って発光物質の本体の化学的組成や仕組みについての研究を進め、発光生物がもっている発光物質は同一ではなく、各々性質や化学構造、仕組みが異なったものであることが明らかになってきた。昭和41年(1966年)に、岡田要博士が電子顕微鏡でホタルイカの発光組織を調べ、発光物質であることを再確認した。当時、まだ発光物質の化学的構造や発光の仕組みが解明されていないホタルイカについては、発光クラゲから他の発光生物の発光物質リンフェリンと性質の違った発光素エクオリンを抽出したプリンストン大学のF・H・ジョンソン、下村修両博士が、水族館で生きたホタルイカの発光器から発光物質の抽出を行ない化学構造の類推をしていた。一方、名古屋大学の後藤俊雄、名城大学の井上昭二両博士も共同で研究を進めた。当時は閉鎖型発光器をもち、イカ自体に発光能力のある深海性発光イカの発光は、生時のみに見られ、死後は急に消失し、再び発光を回復させることは困難であったので、生化学的研究の対象としては不適当で、発光物質の抽出にはなかなか成功しなかった。最初は生きているホタルイカの腕の発光器部分を多数切断して研究されていた。やがて、発光後の発光生成物または、それの分解物は必ず死後のイカの各発光器や体内に蓄積されている可能性があり、生成物には必ず蛍光性があることから、この蛍光物質が発光誘導物と考えられた。このことからホタルイカの腕発光器から蛍光物質が抽出され、この発光誘導物質をホタルイカルシフェリンと名づけられた。各発光器、胴、頭、腕、内臓等の詳細な化学的検討から、肝臓中に発光物質の前駆体オキシリシフェリンと考えられる物質が多く含まれていることがわかり、更に腕、皮膚発光器からも発光物質ホタルイカルシフェリンが抽出された。
 ホタルイカの発光器で、皮膚や眼の発光器は生きている時は、昼夜の別なく常時発光している。これは発光が生命のリズムの中に組み込まれているということであり、生存中発光し続けるためには、発光物質が連続して発光器中で生成されているか、あるいは他の臓器で作られた発光物質が連続して発光器に送り込まれていなければならないと考えられる。そこで、天然物有機化学の中でも特殊な生物発光物質の研究をしている名城大学の井上研究室の囲久江博士(滑川市出身)は、両博士の研究成果をもとに、各発光器と肝臓の間に発光物質の一つの回路を想定しながら研究をした。肝臓中で発光物質の前駆体(もとになる物質)アミノピラジンはテロシンとフェニールアラニンの二つのアミノ酸からできており、これが結合し、硫酸化されて水溶性のホタルイカルシフェリンとなり、各発光器に移送され結合型のリシフェリンとなって貯えられる。これが遊離しリシフェリンに分解されると同時に発光し、オキシルシフェリンに酸化される。オキシルシフェリンは再び肝臓にもどり、二つのアミノ酸に加水分解されたあと、前駆体に再合成されるとした。この発光物質の肝臓、発光器間へのリサイクルを化学的思考で解明した。このように、神秘な発光の本体を追って半世紀以上の長い研究が続けられてきた。しかし、この推論を生体的に立証するには今後、ホタルイカの長期人工飼育による研究が必要である。
 このホタルイカで解明された化学分析による発光回路の証明で、閉鎖型の発光器をもつ多くの発光機構について解決の糸口が見つかり、将来、多くの深海性発光イカの生化学的研究が進むものと考えられる。
発光の生態的意義
 発光生物の発光は、生態的にどのような意義をもっているのだろうか。これは深海性魚類やエビ、その他発光クラゲ、ウミサボテン、ウミボタル等多くの発光生物は、偶然に細胞内に発光物質がたまったために発光するもの、仲間への標識や照明、餌生物の誘引、雌雄の識別や合図、生殖のためのサイン、外敵に対する防衛や威嚇、眩惑等々で、生態的に証明されたものは少なく、あくまでも推測推論である。
 ホタルイカの発光は、単なる暗黒の海での信号や照明ではなく、驚くべき発光の仕組みと機能があることがわかってきた。それは、ホタルイカの頭部の背中側に、色素がそこだけない部分が、腹側にある発光器の光量を左右させる重要な場所であることがわかってきた。その場所は光の素通しの窓の働きをしており、そこから入った上部海面からの光の明るさを眼の附近にある受光器官に感知させ、その光の強さに合わせて発光器から光をだす。このとき漏斗の内側にある発光器からでる光は、体の内側に向けられることになる。この漏斗からでた光を眼の附近のもう一つの受光器でモニターして、外部からの光の明るさと自身の出す発光器の発光の強さを調整するという素晴らしい高度な逆陰影現象の発光機構をもっているようである。だから夜になると、腹部の発光を弱めて自分のシルエットを隠して、ときには餌生物を求めて夜間、上層まで移動したり、産卵に接岸し、朝になって明るくなると深みに移動し、夜再び接岸する。日没、日の出の照度に合わせて、明るいところでは発光を強くし、暗いときには発光を弱くして自分の体をカムフラージュし、外敵から身を守るための発光調整をしているようである。また、腕の発光器は触れたり刺激を与えると強烈な発光をするので、外敵から襲われたときの目ざましの役目をしているのでないかと思われる。また、性的信号や、イカ自身の生態的な信号があるのかも知れない。
 ホタルイカは島根、鳥取、兵庫沖や若狭湾、佐渡、新潟にいたる日本近海に広く分布し、更に朝鮮半島東海岸にも及び、相模湾、駿河湾、熊野灘等太平洋側にも広く分布生息しているようである。しかし、産卵期に天候の悪い日を除いて、毎夜産卵群遊が行われるのは富山湾だけなので、学術上貴重な文化財として、大正11年(1922年)に文部省より、常願寺東河口から魚津信濃浜にかけ、満潮時の海岸線から700メートルの沖合までの海面を「ホタルイカ群遊地」として天然記念物に指定された。更に昭和27年(1953年)に文化財保護法によって「ホタルイカ産卵群遊海面」として改められ、特別天然記念物に指定された。
 一生の大半を深海で生活するホタルイカの生態や生活史に、多くの謎が残されている。ふだんは、おそらく富山湾の内にも外にもいて、昼間は水深200メートルより深い沖合中層で生活し、かい脚類、端脚類、オキアミ類等の深海性の大形のプランクトン類を食べ、夜間には餌になる生物の上昇を追って、適水温の範囲で海面近くまでくるという日周期による鉛直移動しているのではないかと推察されている。他のイカと同じく、交尾と産卵は同時でない。雄の10本の腕のうち1本だけが精子のつまったカプセル(精包)の輸送用に変形していて、雌は交尾のときに頸の背中側にもらう。また、ヤリイカの仲間は卵を袋に入れて海底に接着させるが、ホタルイカは卵を入れる袋をつくる器官を持たないので、径1ミリの小さな卵約2,000個を数珠状に浮遊卵として産みだす。これはイカの中でも珍らしい産卵方法である。産卵は一度に全部産み出して沖合いに去るのではなく、2〜3日にわたって少しずつ産卵を行うようである。
 卵は6日間でふ化するが、最近の水産試験場のホタルイカ稚仔採集ネットによる調査によると、ホタルイカの主産卵海域は湾の東部から中央部沿岸で、4月中旬から5月下旬に最も多いようである。ふ化直後の約1.8ミリの稚仔は沿岸表層附近を浮遊し、3ミリほどになると水深約20メートルの水域に移動し、更に成長につれて棲息場所を沿岸から沖合へ、浅所から深海へと移動していくようである。また、ホタルイカの成長にともなって発光器が形成される様子は、ふ化直後の胴長1.8ミリのものにはない。眼の発光器は3.5ミリ頃から現れ、5ミリ頃には5個の発光器が形成される。また、腕の発光器は5ミリ頃に1個現れ、6〜6.5ミリで2個目が腕の伸長と共に現れ、8〜10ミリで更に腕が伸長して2個目の先に形成されることが推定され、徐々に成長しながら、だんだん深海に入り、9月頃には2〜3センチになり、秋から冬にかけて急成長して翌年の2月頃4〜5センチに成長して交尾し、雄は、一生を終え、雌は3月末〜6月にかけて産卵のために浮上し、産卵後一生を終えるものと考えられ、ホタルイカは1年生であると考えられる。
 ホタルイカの学名がつくまで半世紀もかかり、また、発光物質の組成が明らかになるまで、やはり半世紀以上の月日がかかった。
 富山湾のロマンを呼ぶホタルイカは、深海性発光動物であるだけに、まだまだ生態や生活史に多くの謎が秘められているが、長い年月をかけてそのベールが1枚1枚はぎとられるたびに、自然の仕組みの巧みさに感動を覚えるのである。
(さかした あきら・魚津水族館長)
−平成2年2月17日放送−
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