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テレビ放送講座 平成6年度テキスト「第4回 慶事と行事のごっつお 〜土地柄と伝承性〜」


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TOP 第4回 慶事と行事のごっつお 〜土地柄と伝承性〜 佐伯 安一

婚姻と料理
 華やかな結婚行進曲に乗って、ブロマイドから抜け出たような花婿・花嫁のキャンドルサービス。そして身の丈もあるようなデコレーションケーキにナイフが入る。パーンパーンとクラッカーが飛ぶ。
 こんな結婚式風景が当たり前になって、もう昔からの結婚式は忘れ去られてしまったかのようである。しかし、である。その式場へくる前に、花嫁の入家儀礼−玄関での合せ水、嫁のれんくぐり、舅姑についての仏壇まいり−をすませてくる例が多い。そして式場での料理には富山名産かまぼこ尽し。
 こうしてみると、案外昔からの伝承はどこかに残っており、それを守ろうとする気持ちも失せてはいない。ここではそうした心意のもとであるかつての伝承を、ごっつおを中心に描き出してみたい。ごっつおというとおいしいもの華やかなものという語感を伴っているが、これから述べるものはもっと地味なものであるかもしれない。要はその行事にともなうきまった料理という程度のことである。
○落ちつきの膳
 嫁が家へ入って仏壇まいりをしたあと、部屋へ落ちつくと落ちつきの膳が出る。富山市周辺では「座つきの餅」といい、椀に小餅を2つ入れて汁をかけたものを出す。そのあとにご飯が出され、これには上に煮た小豆5、6粒がのせてある。上市町白萩では大きな餅を2つ水引でしばり、その上に干いわし2匹と黒豆2粒をのせる。氷見地方でも落ちつきの膳に干いわしと黒豆の煮たのをつける。
 砺波地方では披露宴の膳にネマルガイモチというものをつける。昔は嫁が家に着いたとき臼を持ち出してついたというが、後にはあらかじめ作っておくようになった。ネマルは坐るという意。不格好なくらい大きなカイモチ(ぼた餅)で、これには嫁が家に居つくようにとの願いが込められている。小豆あんには塩を入れない。この家はくどくない(からくない)という意味だという。射水郡小杉町あたりでは嫁入りの翌日に作り、近所へも配る。
○かまぼこづくめ
 披露宴の膳で目立つのはかまぼこ細工である。かまぼこは呉西ではハベン(半片(はんぺん)の訛)、呉東ではクズシ(魚の身をくずす意)という。新湊・富山・魚津などが有名である。焼物がわりの大きな鯛が中心で、篭盛りには鶴亀や松竹梅、扇子、富士山などのめでたいもの尽し。お平やふた茶椀の中もかまぼことかまぼこづくめである。それぞれの形の上に極彩の色をつけ、さらに柔らかい練りかまぼこをしぼり出しの用具でしぼって絵や字を書く。
 お客さんにとっては持ち帰って近所や親類へおすそわけするのに都合がよい。結婚式の披露宴というのは親類や社会の承認の意味を持っているから、すそわけをもらった人たちもその結婚を祝福するということにつながる。
○ウッチャゲとハリアゲ
 婚後1年ほどすると、ウッチャゲといって嫁の実家では婿さんをよんで盛大な宴を張る。婿とりの場合はハリアゲといって嫁さんを婿の実家へよぶ。このときの実家の気の配りようは大変なもので、冗談に「ションベンキャ(を)アマヘ上げる」などという。家をきれいに片付けて、汚い小便桶屋(便所)などはアマ(屋根裏)へでも上げようかというのである。昔は恩にきせて子供でも生まれてからでないとこの招待に応じなかったが、だんだんその年のお祭りの際などに兼ねて行われるようになり、近年では逆に「結納ウッチャゲ」といって結納の納まったときに先にすませてしまう例も出てきた。
 このウッチャゲの招待と、婚家へのツケトドケ(時季に応じた贈り物)の多いのが富山県の婚姻習俗の特長であったが、ツケトドケも近年は次第に簡略化されてきている。
産育と年祝い
○産育
 妊娠5か月目になると「腹帯見舞」といって、お里からさらし木綿と赤飯または餅を持ってくる。新湊市放生津では黒豆の豆オコワである。
 初産はお里でするのが普通で、産み月が近づくとお里からコロコロダゴを持って迎えにくる。細長い形の団子で、子供がころころと難なく生まれるようにとの願いからである。
 産後3日目には産婦に力をつけさせるために「三日の味噌汁ダゴ」を食べさせる。味噌汁に餅米の粉で作った団子を入れたもの。とぎあげの餅米を陰干しにして石臼で挽いて粉にしたものをこねて、直径3センチくらいに丸めてからまん中を押えて凹ませる。汁に油あげやズキ(里芋の干しずいき。乳が出るという)のほか、コイやフナなどの魚を入れる。魚津では口の大きい赤い魚を入れるという。
 また、「三日のモチ」といって白い丸餅を作り、近所や親類へ1重ねずつ配る。もらった家では柔らかいうちに食べ、もし固くなったら煮て食べる。焼くと子供が火傷するからだという。
 7日目はスダチ(巣立ち)とかオビヤダチ(産屋立ち)といって産褥を払い、母子ともに湯を使って着物を着かえる。子供の髪を初剃りし、名前はこの日までにつける。この日をシッチャ(七夜)といい、砺波地方では男の子なら豆ゴワイ(黒豆入りのこわ飯)、女の子なら赤飯を作って親類や近所へ配る。氷見地方は赤飯、呉東はカイモチや餅というところが多い。入善町では「スダチ祝いの力餅」といって、婚家から餅を贈る。
 2か月くらいしてウイザンガヤリをするときは、オコワか餅をつける。餅は男の子なら黒豆入りの餅、女の子なら紅白の餅である。五重箱につめて大きな紺風呂敷に包み、母親がかついで、子供をおぶった娘を婚家へ送って行く。
 生後100日目は食い初めである。射水地方は「百日の一粒食い」、砺波では「百日の一粒まま」という。お里から子供用の御膳や茶碗を1セット贈り、婚家では赤飯を作って子供に1粒食べさせる。五箇山では頭を固くするためにといって、この膳の隅に小さい石を置く。
 誕生日を祝うのは1回目の誕生日だけである。男の子の場合「力餅」といって大きな餅を作り、背負わせたり尻へぶつけたりする。「力餅」というから強くなることを祈るのであるが、誕生前に歩くと鬼子だといって、餅をかつがせても歩くと突きころがすところもある。新潟県境の朝日町大平では子供を箕の中へ入れ、2、3回ゆすってから大きなカイモチをお尻にぶつける。箕でゆするのは、とかく抜けやすい子供の魂を安定させるしぐさであろう。
 子供が成長するにつれて、3歳や5歳の祝いがある。よく女の子の「三つのコロ帯」や男の子の「五つの袴祝」といって、それぞれ帯や着物を贈る風がある。上市町白萩ではこのとき3歳は白い餅と草餅、5歳には白い餅と黄色い餅をつけていったという。近年七五三の宮まいりをすることがはやってきたが、これは成長過程に応じた祝をまとめたものであろう。しかし、県内ではもともと7歳の祝はなかった。
○若衆組入り・元服
 男の子が若衆組の仲間入りをするのは15歳の正月からである。砺波地方などでは正月の若衆報恩講のときに初めて参加し、直会の席に酒1升を出して仲間入りを認められた。
 18歳に元服祝をしたところは結構多い。井波町院瀬見では正月の間に若衆をよんでヨバレをした。ただし、長男だけである。上市町白萩では正月に宮へ酒2升と魚を供え、祝詞をあげてもらって御神酒をいただく。
 氷見地方にはエボシオヤの風習がある。18歳になると村内の有力者にエボシオヤ(仮親)になってもらい、その家で親子の盃をする。女の場合はカネツケオヤをきめた。何かにつけて相談に行き、また親方の家にモノゴトがあるときは手伝いに行く。この親子の関係は一生涯続く。
○年祝い
 男は25歳と42歳が厄年、61歳が還暦で、正月に宮へ紅白の鏡餅と酒を供えてお祓いを受ける。また、身祝いといって正月中に近隣や親類縁者を招いて大振舞をする。この膳にも大きな紅白の餅をつける。身祝いの費用は25歳は親が、42歳は自分で、61歳は子供が持つものだといい、とかく派手になる傾向がある。女は19歳と33歳が厄年というが、赤飯を炊く程度で宴をすることはない。
 近ごろは長寿化につれて、70、77、88歳などにも長寿の祝をするようになった。
年中行事と食物
○雑煮
 「お宅の雑煮の餅は四角ですか、丸いですか」と開くと、県内の人はたいてい四角と答える。同じように「餅は焼いてから煮ますか、生のまま煮ますか」と開くと、生で煮るという答えが返ってくる。
 実は日本全国の分布を見た場合、「四角い餅を焼いてから煮る」のが東日本、「丸い餅を生のまま煮る」のが西日本である。してみると、富山県に多い「四角」は東日本、「生(なま)」は西日本、つまり東西日本の混合型ということができる。これは東日本と西日本の接点にある富山県の位置を端的に示す事例である。富山県の民俗や方言は大体西的であるが、西日本の東端であるために、時には東的なものも入るということである。
 一部四角い餅を焼くというのが五箇山の利賀と上平、立山町や朝日町にあり、また丸い餅を焼くというのが黒部市や魚津市の一部にあるが、これも混合地帯の飛地現象であろう。
 具は一般に葱と色どりににんじんていどのあっさりしたもので、しかも昆布だしの精進仕立というところが多い。これに対し、下新川地方はフクラギを焼いて身をほぐしたものやかまぼこ・豆腐・ごぼうやにんじんのささがきなどと賑やかである。前者は上方風、後者は東北地方に続くのであろう。
○小正月の小豆粥
 1月15日の小正月を県内では「百姓の正月」とか「サツキ」という。サツキというのは「田植」のことで、この日一日を田植えの日のような気持ちで過ごし、前日の左義長から始まって、鳥追い、もの作り、庭田植・生(な)り木責めなどの予祝行事をする。小豆粥もその中の重要な行事である。砺波ではアズクゾーン、上新川ではアカゾロという。朝、大きな鍋に小豆汁を作り、その中へいろいろな形の団子を入れる。平べったいのは田んぼ、円筒形は稲株、稲の穂や俵、小さい球形はタノシ(たにし)で、″田主″にかけて田の神様だという。これを煮るときは豆がらや若木を焚く。清浄な食物だからである。煮立ってくると鍋の中を田に見立てて、前日に作っておいた農具の模型−鍬(くわ)・犂(すき)・エブリなどで鍋の中をかき回し、田をならす仕ぐさをする。そして、今年の田は柔らかいとか固いとかいう。煮上がると家族みんなでいただく。
 食事が終ると生り木責めをする。子供が2人で、一人は椀に小豆粥を入れ、一人は鉈(なた)を持って家の前の柿木のそばへ行き、鉈を持った方が「なるかならんか、ならんにゃかち伐るぞ」とおどすと、椀を持った方が「なります、なります」という。鉈で切り目を入れ、汁をかけて団子を食わせてやる。小豆粥にしろ生り木責めにしろ、願いをこめてわざおぎをしておくと、田や柿木はそれに感受して豊作になると考えられてきたのである。
〇五箇山のシトギ餅
 うるち米を1晩水に夜け、石臼やすり鉢ですりつぶして丸くこねたもの。五箇山の庄川筋の村々では蚕を飼ったころ、3月最初の午の日である初午にウマノヒノタンゴといって繭形に作り、一升桝に盛って蚕の種紙といっしょに床の間に供えた。
 また、セックといって3月3日の月後れである4月の3日前後にいくつかの村ではこれを作って宮へ供える。平村上松尾は4月1日で、当番にあたった3軒の男たちだけで前日の夕方作る。大きさは両手の親指と人さし指で輪を作ったくらい。1軒に2個ずつ配れる数を作り、翌朝5時ごろ宮へ供える。山笹2枚を十文字にし、その上へ2個重ねてのせる。梨谷は4月3日、上梨はもと4月3日であったがいつからか9月9日に行っている。大島では3月22日の火伏せの日に作る。ここの場合はすり鉢で水をたくさん加えてすり、どろどろにしたものを三宝に入れて宮へ供える。
 『綜合日本民俗語彙』によると、このような生のシトギ餅を御供(ごく)として神に供えるのは九州各地のほか、山陰・東北からも数例の報告があり、近いところでは福井県敦賀市池河内の諏訪社の例を挙げている。県内では今のところ五箇山の他には聞かない。貴重な事例である。
○いりがし盆とついたち饅頭
 6月1日をイリガシボン(砺波・氷見)、氷のツイタチ(黒部)、オニノキバ(城端)などといい、餅のハゼや大豆を煎って作ったイリガンを食べる風がある。このような固いものを食べると歯が強くなるという。隣の金沢市ではこの日をヒムロノツイタチといって、氷室(ひむろ)の穴に貯蔵しておいた雪氷を食べる。このように正月の貴い餅の残りや冬の清浄な雪をしまっておいて食べるのは、その霊力によって暑さに向って弱ろうする体力を振るい起こすためである。
 また、麦のとれるころなので、富山近辺ではうどんを食べる。腹の虫をおろすためだという。富山の町ではちょうど山王さんの祭りの日であるが、ツイタチ饅頭といって子供たちが「マンジュイランケ、マンジュウ」とふれながら饅頭を売って歩いた。商売の見習いだといって、大きい家の子供でも歩いたという。これも麦を食べる風習の一つであろう。
○お盆
 県内では旧盆の8月が多い。しかし期間は、どういうわけか呉東から射水は13日から15日まで、砺波地方は15日から17日までと微妙に違う。呉東では13日の夕方ショウライムカエをする。富山では神通川、八尾町では井田川、上市町では上市川というように、近くの川べりへ出かけてたいまつに火をつけ、「オショーラーイ、オショーラーイ、ジージモコーイ、バーバモコーイ」といってふりまわす。
 この日ショーライムカエの団子を作り、16日にはショーライオクリの団子を作って供えものといっしょに川へ流す。大沢野町町長(まちなが)では盆の間毎日墓へ団子と粥を供える。ショーライダゴは粳糯(うるち米ともち米)半々の米の粉をこねて蒸し、きな粉をつけたりする。宇奈月町下立では仏壇に8月13日はムカイタンゴ、14日はアズキタンゴとそうめん、15日は朝はお粥、昼は赤飯、晩はそうめんを供え、16日にはダンゴを桐の葉にのせて川へ流す。16日の団子をオクリダゴとかミヤゲダゴというところもある。
○お祭り料理の一品
 お祭りのご膳といっても刺身・酢物・焼物、焼豆腐と里芋を煮たお平と別段変ったものではない。しかし、もう1品何かが加わり、それがお祭り料理として心に残る。そんなバラエティ。
<スズキ>ズキ(ずいき)が赤くて細い品種の里芋をアカイモという。茎の青い普通の里芋に比べて収量は少ないが、芋も茎もエゴ味が少なくてうまい。
 ズキの皮をむき、5センチくらいのぶつ切りにする。太いものは2つに割る。水に放してあくを抜いてから、鍋に入れてから炒りする。それを甘酢につけるときれいな紅色となる。かめに入れてふたをしておく。
<ベッコ>寒天の煮こごり。ベッコというのはべっこう色をしているからで、これは呉東の称。呉西ではユベスとかエベスという。柚(ゆず)を蒸して作った柚餅子(ゆべいし)菓子に色が似ているからである。寒天は無色であるが、醤油を入れるのでこんな色になる。中へ玉子を解いて入れたり花麩を散らして彩りを添える。3種のコブタの一つに使われる。
<スワイ>酢和え。大根やにんじんを千切りにして甘酢で和え、油揚げやいかの足を刻んで入れたりする。なれるほどおいしくなる。本来酢和えといえばこれだったのであるが、ご膳を仕出屋に任せてしまうと、せめてこれだけは手作りでということになる。
<下新川のさばの押せずし>県内にはいろいろなすしがあるが、下新川地方のさばの押せずしは豪快である。この地方では祭りや何かめでたいことがあったときには必ず作られる。
 ご飯は固めに炊いて酢・塩・砂糖で昧をつける。さばは素焼きにして身をほぐし、酢に砂糖と少量の塩・酒を入れた合わせ酢に漬けておく。すし箱の底に笹の葉を敷き、ご飯をのせ、さばの身を平たく敷き、またご飯をのせて軽く押し、花のりを散らして仕切のうす板を置く。これを3段に重ねてから押しぶたをし、重石を置く。1晩置いてから形枠を抜いて包丁で切る。何しろ1回に5升ほども作るから箱も大きく、枠を抜くときには2人がかりである。切り方も大きく、10センチ角で厚さ3センチくらいもある。これを大皿に山盛りにして出す。
○刈り上げと庭仕舞
 稲を刈り終わると家々では刈り上げの祝いをする。カイモチというところが多い。黒部川扇状地の村々では神無月の神送りと兼ねて10月28日ときめている。1升で2つくらいの大きなカイモチを作り、鍋のふたにのせて稲刈鎌2丁を置き、オイの大黒柱の前(神棚の下)に供えておいて、31日の晩に鎌で切って家族みんなでいただく。
 11月28日は親鸞の忌日で、真宗お東ではこの前後報恩講が盛大に営まれる。寺や家での報恩講の料理はていねいに作られるが、これについては別稿にゆずる。
 稲をこき、12月初めごろ籾すりを終ると各家では庭じまいをする。このときもカイモチというところが多い。
(さえき やすかず・砺波郷土資料館館長)
−平成7年2月11日放送−
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