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テレビ放送講座 平成4年度テキスト「第5回 くらしの中の風」


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TOP 第5回 くらしの中の風 稲葉 実

祈りの風景(神々との会話)
 人類の先祖が横穴や竪穴に住まっていた頃から今日まで、数万年が経過したといわれている。その間、とやまの住まいに関してみてみると、たいそう進歩したように見えるが、じつはつくり様の根本はほとんど哲学的で変わっていない。
 これをわかりやすく安全性とか、情緒性ということからみてみると、風雪に対して、こわれにくい構造、火災に対して、もえにくいつくり、温暖多湿に対して、くさりにくい知恵など、レベルの差こそあれ、ほとんどこの3点に要約される。
 この背景には、富山県が日本列島のほぼ中央(緯度では36゜から37゜のあいだにはいってしまう)に位置し、四季の変化に富み、天候が変りやすいという風土にあることが考えられる。私たち富山県人は生まれながらこの風土に慣らされているが、このことが実は、世界のどこと比較しても、複雑で簡単に要約できない特質といえよう。また歳時記を見ると、四季それぞれの変化に応じて生活があり、そこにこの土地固有の感情が生まれ育っていることがわかる。
 森羅万象を祈りの対象としてきた私達の先祖は、四季を生活にとりこみ、自然の猛威すなわち台風や豪雨や大雪、地震や火山の噴火など大きな災害の経験から、あらかじめ神々を奉る行事を日常生活のなかに組み込んでいった。近郷近在に点在する鎮守の森や神社仏閣がそれであり、特にいつのころからか砺波平野に点在するようになった不吹堂は、風の宮として人々の心に根づいていったのである。
 風上に向かって向拝(ごはい)を設け、高床にして三方を開き、風神・雷神と人間が四季折々に会話する場としたのである。ここで人びとは、正月には一年の安全と五穀豊穣を祈り、春の到来を待つ。やがて春一番とともに種まきの時期を知り、田植えどきを予測し、人手を手配して、農作業がはかばかしくいくことなどを風神と相談したのだろう。
 取り入れが近づく二百十日は風の盆である。これは、二百十日の厄日の風をはらい鎮め、間近になった取り入れを風の神に祈る祭りなのである。
 越中八尾では、町をあげてこの行事に取り組むのである。毎年9月1・2・3日の風の盆は、八尾町ばかりでなく近郷近在の者にとっても、なくてはならない大切な行事であった。
 八尾の町筋は、天保年間に定まったといわれているが、そのかたちは、幾度となく大火にみまわれたにもかかわらず、今日もなお、そのかたちはほとんどかわっていない。一方、個々の家のつくりは、昔はむな割りになっていたろうが、現在ではその面影を残していない。しかし、みせがまえのある大店(おおだな)は、いまもなお昔日のつくり様をはっきりとどめていてたのもしい。この大店では、風の盆のころともなれば、毎夜店先の格子は取りはらわれ、大きな間口が一段と大きく口をあけて、見ず知らずの者も、親せき縁者も分けへだてなく招き入れられるのである。これが八尾ならではの伝統である。
 花ござを敷いて小あがりになっている店先から、奥の座敷をみると、風通しを考えた簀戸(すど)が品よく納まり、縁先には御簾(みす)が巻きあげられているのがみえる。その一つひとつのしつらえに、涼をさそうやさしい心根が感じられる。
 夕方ともなると、屋内の処々(ところどころ)に蚊取線香を燻(くゆ)らせ、まち流しの胡弓の音とハーモニーして、初秋の風情が一段と増幅されるからたまらない。
 小説“風の盆恋歌”を書いた高橋治氏の言葉を借りれば、「並みのものじゃない!」と前置きし、「墨守や保存ではなく、おわらは限りない前進を続けて止まない“現役”なのだ」といい、「そうなる理由を総て競争心から来ていると考えると、見当が違う。むしろ、町の人びとに共同意識が脈々と受け継がれていると捉えなければならない。町がおわらを与え、おわらが町を古風で誇り高い居住地にしている。その独自性が結実したものが風の盆なのだ」と言い切るのである。
 すなわち、脱皮に脱皮を重ねても、本質を失わず、八尾のおわら風の盆をうたい、おどり続けるのである。
 井田川にそってこの町の背を支える玉石の野面(のづら)積みは、めまぐるしい時の流れに風化するものがあまりにも多いなかで、事故もなくたのもしくふんばっている。
 祈りの風景も、ここまでくると本物である。八尾につながる富山をふるさととする者の誇りといえよう。町並みも家々もおわらのしつらえ同様、根気よくみがきあげ、おわらのふるさとにふさわしく本物に戻っていくことを祈らずにはいられない。
知恵の風景(経験の蓄積)
 “違いがわかる男”でテレビコマーシャルをやってのけた、建築家清家清(せいけきよし)氏はその著書『家相の科学』で、それまで迷信とかたづけられていた家相に注目し、先人達の生活の知恵が満載されていることを世に紹介した。とくに家屋の新築にあたって、家族の日常心理や既成概念が色濃く影をおとす「家相」や習慣に対して、科学的な検証が必要になってくると、古い過去からの伝承に、よくもわるくも科学的な根拠を見いだし、新しいくらしの知恵とすることが大切であるというのである。家相も占いの一種で、人相や手相などのなかまと同じく、古代中国で生まれたものだ。このように、“相”つまり物事の形にあらわれたものを判断することで、運命を占う方法を相学というらしい。
 これは過去に起った事柄を整理し、そこに経験的な法則を発見することによって未来を予知しようとするものだ。中国で生まれた占いには、この相学と易占いの二つの大きな分野があって、陰陽五行説とよばれるものがそれである。
 家相の考え方も、この陰陽五行説によっている。といっても、それがすべてではない。相学が過去の経験を法則化して、そこから未来を予知するといったが、家相の場合も、中国人が家に住むようになって以来の、住まいについての知恵が基礎になっていることはいうまでもない。中国大陸、とくに中国文化の中心であった黄河中流域の気候風土のなかで、いかに住みよくするか、いかに安全な家をつくるかという長年の工夫がこめられている。この生活の知恵を、陰陽五行説によって飾り、論理づけたものといってよい。
 このようにして中国で完成した家相が日本にはいってきたのは、奈良朝のころと考えられる。はじめは、宮廷建築に利用された。そのルールにしたがえば、東に川が流れ、西に大道があり、南に平地、北に丘陵のある土地は、青龍、朱雀、白虎、玄武の四神相応の地として最上の土地であるというのである。これは色と動物を五行にあてはめ、それをまた方角にあてはめたものである。平安京、今の京都は、まさにこの条件にぴったりの場所をさがしあて、そこに都を移したといえよう。
 北東を鬼の出入りする方向として、比叡山に延暦寺を建て、鬼門除けとしている。この後の時代にも、宮廷建築には家相の考えが十分に取り入れられ、これが貴族や武士の家にも採用され、江戸城=現皇居もこの教えにしたがっているのである。
 一方、民間にもこの思想がしだいに広がり、迷信と結びついて、庶民生活にも強い影響を及ぼした。桃山時代から江戸時代にかけ、日本の建築様式、技術がほぼ完成されると、家相もそれにしたがって中国から伝わった原型に、日本独自の気候風土や日本建築の特殊性をミックスして、日本的家相がつくられるのである。その結果、多種多様の流派や地方色豊富な家相書ができたものと推測される。
 本来家相は、住みよい家をつくるための経験的な知恵の累積に、陰陽五行説という前時代的未来予見術の装いを着せ、素人にわかりにくくすることで、いわゆる家相看(み)の権威をつくったものである。だから、その不可解な装いをはずしてみると、そこには、だれにでもわかり、現代の家にも十分通用する科学的真理を発見することができる。と清家清氏はいう。
 家相では、敷地や建物がどちらの方向に、欠けたところ、張り出したところがあるかを非常に問題にする。東西南北、とくに坤(ひつじさる・南西)艮(うしとら・北東)の方は、少しも欠け張りのないのがよいという。なぜならこの二つの方角は、それぞれ鬼門、裏鬼門にあたるからだ。北東を鬼門として忌み嫌う思想は、中国で生まれて日本に渡り、日本的成長を遂げたということができる。
 まず中国での発生をみると、空想を好む中国人らしい説話から、中国の北東数万里のところに度朔山(どさくさん)という山があり、そこに大きな桃の木が生えていて、四十里四方に枝を張っている。その北東に向かってのびる杖に萬鬼が集って、人間を殺害した。そこで北東を鬼門としてこの方角を避けるのだ、というのだ。
 この説話は、一つは気象に一つは歴史に背景を求めることができる。気象的には、冬、シベリア、オホーツク海方面から吹きつけるきびしい北東の風を北東の悪鬼にたとえたのである。また、中国の歴史をみると、漢民族の脅威は、有名な匈奴(きょうど)であった。匈奴は遊牧民族であり、中国の北東部、満州あたりからしばしば漢の領土をおかした。このために、漢民族にとって北東を恐れ、警戒する気分が育ち、鬼門説を育てる土壌となったのだろう。日本にも、この説を受け入れる条件があった。つまり、大和朝廷は、南西から北東の方向に向かってしだいに勢力範囲を広げていった。北東には、征服すべき蛮族が存在していたわけで、日本武尊の東征や坂上田村麻呂の蝦夷征伐などが、それを物語っている。日本でも北東は、敵の住む未開の蛮地であった。
 あわせて、季節風である。日本列島は南北に細長いため、冬のオホーツク海やシベリアからの寒気による季節風に対して、各地各様の冬ぞなえが編みだされたし、夏から秋にかけての台風に対しても同様であった。
 このようにして日本に輸入された鬼門説は、日本の気候風土と重なる部分が多かったことから、とくに朝廷建築に強く影響して、しだいに民間にも広がっていったと考えられる。
 富山県においてその典型が、砺波平野に代表される農家建築“あずまだち”である。鬼門である北東の角には、収穫の準備と仕上げをつかさどる空間“にわ”を配し、裏鬼門の南西には“かいにょ”の繁みを設け、厳しい季節風からすまいをガードしているのが検証される。一方、福門(北西)の方角には、竹薮や実のなる樹木を植えて旬(しゅん)を待ち、敷地内の最も安全で健康的な場所である裏福門(南東)には蔵を設けて、非常時の貯えをここにおいている。家相の教訓と生活の知恵が、これほどまでにぴったりと呼吸した例は少ない。そして、外観は不思議なほどに居丈高にもかかわらず、立山の浄土信仰と気脈を通じ、風土に根づいて麗しくふるさとの風景を演じているからたまらなくしびれてしまうのである。
くらしのなかの風(地球との共生)
 風とは運動する空気であり、移動する空気でもある。それは大自然からみれば、太陽と地球との密接な関係がつくり出す、地球上の気体運動現象ということもできる。一方、今日では人間が人間の知恵によって、人間の必要に応じて、あるレベルの風までつくり出すことができるようになった。ご存じのように、うちわや扇子、扇風機のように、人間の肌にほどよいものから、超音速の実験装置まで多種多様である。
 くらしの中の風を考えると、人間生活を自然から遊離し、四季を通じて安定させる装置として、住宅建築をはじめいろいろの建築物がおもいおこされる。木造建築が主流で、密集した日本の都市部では、古来から多くの大火を経験した。このことから、延焼や類焼を防ぐ方法として、焼けにくい土蔵造りや卯建(うだち)といった建築手法を考え出したし、近年では、欧米にならってレンガ造りや石造りそして鉄筋コンクリート造りといったものまで導入している。これらのすべては、そこで生活する人びとの安全を確保するてだてとして考えだされた構造手法である。
 特に、日本古来からの木造や、最近の超高層ビルを可能にした鉄骨造りは、レンガ造り、石造り、鉄筋コンクリート造りなどと比較にならないほど、いちじるしく軽量である。そのため大半は、風力によってその耐力が決定されるのである。建築に見られる筋違(すじかい)やプレースといった名称は、まさしく風圧によるねじれや破壊を阻止する部材の名称である。これが施してあることによって、私達は安心して、しかしほんの少し心配しながら、台風の時を過ごすことができるようになったのである。風はまた、温暖多湿のわが国にとって、なくてはならない自然の恵みであった。四季を通してものが腐りやすい日本にあって、高床式の寝殿造りは、大社造り(出雲大社に代表されるつくり)であれ、神明造り(伊勢神宮に代表されるつくり)であれ共通している。もともとは、寝殿=神殿ではなかったかと考えられる。穀物の種子の保存用に考案された小さな乾燥庫が変化して、穀物全般の保存庫となり、やがて富めるものの住まいにも応用されるようになって、寝殿=神殿となったようである。横穴や堅穴を住居としていた時代から、湿気とのたたかいが生活の知恵としてたくわえられ、風が湿気を追いはらってくれることを知ったわれわれの先祖は、これをおおいに活用したのである。
 しかし、日常生活において、通風・採光が論じられ、一般住宅にまで敷衍(ふえん)したのはごく最近のことである。床下の換気孔や屋根裏のそれは、有機物である建築自身の健康と、住人の健康を同時に補っていたし、四季おりおりの風をコントロールするまどは、温暖多湿のわが国の健康なくらしにとって、決定的な装置となって根づいている。
 最近の建築は、気密性が論じられ、その方向へ傾斜が強いように思われる。このことは、エネルギー消費と無関係ではない。地球資源が有限になったことを確認した今日、省資源・省エネルギーを目指すのであれば問題ないが、人類が自然から人間環境を切り離そうとすればするほど、エネルギー消費が増大していることも事実である。地球にやさしい人類にもどることはもうできないのだろうか。
 共生ということばも、けっして新鮮なことばでなくなった。自然と人類の共生を考えるうえで、くらしの中の風を再考することは、けっして無駄ではない。
 四季折りおりの風が、日常生活に及ぼす影響について考えてきてわかったことは、気候風土が人間の生態と密接に関係していることがはっきりとしてきたことである。そして、それに逆らおうとすればするほど、資源・エネルギーの消費を増加させるのである。
 今日、地球にやさしくないものは、人類だけとなってしまうことを検証できたように思う。自然のわけまえである風とそして水をほどよく制御し、私達の日常生活のなかにとりこんでいくことに思いを寄せられれば、うるわしかったふるさとの風景が、近い将来、かならずよみがえってくるに違いないと思う。
(いなば みのる・三四五建築研究所代表)
−平成5年2月20日放送−
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