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テレビ放送講座 平成5年度テキスト「第5回 えべっさんがござった 〜海の祭り〜」


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TOP 第5回 えべっさんがござった 〜海の祭り〜 漆間 元三

はじめに
 えびす神は商売繁昌の神として、商家では信仰があつい。一升桝にあり金を入れてご馳走を供えたり、十日夷といってえびす神を祀ってある社へ詣でたりする。しかし、この傾向は江戸時代に入ってからのことで、もともとはえびす神は漁業の神として信仰をあつめていたのである。
 富山湾は深海、大陸棚、海谷が絶妙に入りまじり、魚類の生息に好条件をそろえている。また、東北に向かって広く開口しているため北方から寒流系の魚類がはいり込むばかりでなく、南からは対馬暖流にのって暖流系の魚類が流入し、これらの魚類の混交地点となっているために魚の種類が実に豊富である。それゆえ古くから沿岸漁業が盛んで、海岸線ぞいに大きな町が発達している。氷見・新湊・四方・岩瀬・水橋・滑川・魚津・生地等、漁業または海運ではやくからひらけた町である。
 同じ旧加賀藩でも石川県は百万石のお膝元であり、商業によって発達してきている。それに反し富山県は、藩政時代から加賀藩が沿岸漁業に意を用い、富山以東の海岸をすべる浦方十村役を生地に置き、その統轄育成にあたらせていたほどである。
 農業や商業は、特別の天災や異変がないかぎり一定の実入りを予想することが可能である。しかし、漁業はそれと異なり時化や不漁となれば全くの無収入となる。その反面、思いがけぬ大漁となり予想外の収入が舞いこむ。鯨に追われた魚群が湾内へ逃げ込み、大漁となるなどがその例である。このように予期せぬ獲物をまねき寄せる鯨をえびすと海辺の人々はよんでいる。
 えびす神は、海の彼方または海底の常世の国からあらわれて、人々の生業を守護し、福利をもたらすと信じられている。では、このえびす神の根源について述べてみる。
 古い時代から、海は「綿津見(わたつみ)」といわれ、「綿津見の国」を司る「綿津見の神」の信仰が存在したのである。また、折口信夫(民俗学者)の「まれびと」の説がある。昔の人々は海岸づたいに生活の地を求めてやってきた。そのあと海岸に村づくりした祖先が、やがて亡き数に入り、それらの人々の霊は皆、遙かな海の彼方にあり、時折、常世波に乗って、子孫の村を訪れ、幸福をもたらして去ると考えられていた。折口信夫はこれを「まれびと」とよぶ。
 綿津見の神(海神)・常世の国のまれびと(祖先)、これらが混然一体となったものがえびす神である。海辺の人々は祭りにあたって、これらの神を招いて漁業の盛んならんこと、海上の安全を祈願するのである。
 県内で行われているこの祭りの中には神送迎の古い形式を現在も明確に残存しているものがある。例えば新湊の築山祭りではこの海神を迎えることから祭りが始まる。宵祭の夕方、海に向かってかがり火を焚くと、これを合図に海から海神が来臨される。この神を舟神輿に乗せて境内の松の神木に導き鎮座していただくのである。次の早朝境内に盛大な祭壇を設けて祭礼を行う。祭礼が終わればただちに常世の国へお送りするのである。
 数多くみられる海の祭りも、執り行うものの心情によってさまざまな色あいをおびる。新湊のぼんぼこ祭りは、今年の豊漁を願う予祝祭であり、入善町吉原のえびす祭りは北海道へ出漁する家々へ加護を祈る家祈禱である。黒部市生地のえびす祭りもやはり家祈禱ではあるが、その他えびす神が船に乗り、沿岸の漁場を祈禱してまわるのである。今年の漁業のしめくくりとして感謝祭の形式のものは、新湊の築山・魚津のたてもん・経田のえびす迎えなどがある。また、祭りの折りの神への饗応の仕方にもそれぞれ独特の工夫がこらされている。
 魚津のたてもんは「神にたてまつるもの」がちぢまって「たてもん」となったものである。神にたてまつるものとはお供えのことで「にえ」とよぶ。魚津浜は古くから贄の浜とよばれていた。現在も贅町の町名があり、また北鬼江の地名は、漢字は異なるが「御贅」の名残りである。古い頃から、信州(長野県)の諏訪神社から神前へ供える「お贅」の為の魚を買い求めにきたものである。はるばるやってきた人がお贄の豊かにとれる浜ということから「御贅の浜」の地名がついたのである。その昔魚津浜に漁業を始めた人たちが、毎年豊漁を祈って舟に沢山の贅と献燈を積み、浜辺をひいて行き神前に奉納したのである。その後生魚にかえて、多くのあんどんに魚の絵を描くようになった。さらに贅を高く積みあげた漁船の形に神燈を飾り、現在のたてもんになっていったのである。たてもんの最上にあるあんどんは太陽の神を象徴していて、神の贅にとりつこうとする悪霊を睨み追い払うためのものであり、また、そこから杖垂れている髯篭はその太陽の放射する光である。祭りのクライマックスであるたてもんの引き回しは、神に心をこめた贄の山をとくと見ていただくための方法なのである。
ぼんぼこ祭り(新湊市)
 いまから400年前の1580年(天正8年)に始まったと伝えられる新湊市西宮神社のぼんぼこ祭りは、平成2年4月19日に新湊沖合で行われた。この祭りは不漁の年であったり、海難事故のあった翌年の4月の例大祭に行われる。ぼんぼこ祭りを行うか否かは宮総代と漁業組合の代表者で決める。
 御座船は大漁旗や紅・白・青の吹き流しで飾られている。袴に白だすきのいでたちでえびす様の像を御座船にうつし、十数隻の供奉船がこれにしたがって沖に向う。海老江沖と高岡市国分沖の漁場で石のおもりをつけた祈禱木を海に沈める。そのあと包丁式で鯛・野菜・果物の刻んだものを海へまいて海神に供して豊漁を祈る。そのあと、船上で、笛・太鼓・ほら貝にあわせて、天狗がぼんぼこ舞を奉納する。この天狗はえびす様の使いだとされている。じゅばんにたっつけをはき、長い白布でたすきを後で蝶結びにし、烏帽子をかむり、長いひげの面をつける。さらに背帯爵吼(しゅくこう)の鬼面といわれる腰当面をつける。目玉が動き、むきだした2本のきばは憤怒の形相をみせていて悪魔払いにふさわしい面である。天狗は弓を釣竿にみたてて鯛を釣る所作をする。「このように沢山の鯛が釣れますように」との願望をえびす神の目前で直接に演出することによって神意を得、その祝福にあずかろうとするのである。そのあと弓に矢をつがえて放ち、悪魔払いをする。
 沖合での祭りを終え陸へ上がった一行は船主の家々をまわる。紋付き袴の青年たちが、青竹のササラで家の腰板や格子戸、雨戸、地面を力まかせにたたいて悪霊を払いながら「はいったぞー、はいったぞー」と声をはりあげて、えびす様を家へ追いこむ仕ぐさをする。ついで天狗が土足のまま玄関から畳の間に上がりこみ、床の間のえびすの掛け軸の前で豊漁を祈って舞う。ぼんぼこはこの時の楽器の音からぼんぼことよばれるようになったらしい。昔から泥足で家の中へ入り、汚れが多いほど豊漁だといって喜ぶ。豊漁と厄除けを祈願する漁民の切実な要求がこの運なおしの予祝祭を生んだのである。
えびす祭り(黒部市)
 黒部市生地は海沿いの細長い町で、かっては漁業を専業とし、沿岸漁業のおとろえた明治初年から北海道の出稼ぎ漁業が多くなった。出稼ぎは年2回で、春漁は3月末に出かけ、8月始めに帰郷する。秋漁は9月初旬に出かけ、11月に帰郷する。漁家に人々のそろうお盆に近い8月18日にえびす祭りが行われる。18日の夕方、新治神社に安置されていたえびす、大黒の神像は満艦飾の御座船に遷される。えびす神は2mたらずの柔和な顔つきの座像である。港に勢揃いする大小の漁船は大漁旗や色とりどりの豆電球で飾られ、廻旋橋が開くと、御座船を中心に次々と海へくりだす。笛・太鼓の音も賑やかに生地沖を巡幸し、夜の海を染める。
 戦前は長い海岸線に沿って8つの漁場がひろがっており、漁場をもつ網元が15軒ほどあった。西端の神明町の民家を御旅所としたえびす神はその浜辺から御座船に乗船され、8つの漁場を次々に祈禱して回り、最後に芦崎の浜にお着になる。網元がそれぞれ家紋の付いた高張りちょうちんをかかげて出迎え、海辺にある西の宮神社までお伴したという。現在の生地沖の巡幸はその名残りである。
 昭和15年頃まで、この夜、子供達が各町内の浜辺に集まってかまどをつくり、煮焚きをする習わしがあった。浜辺の石を組んで作ったかまどで夏野菜を煮たり、かたくり粉の水溶きを煮たりして、大人たちにも食べてもらい、浜辺一帯は子供の歓声が湧いたものである。今は市内の商店から寄せられた大小の花火が打ちあげられ、市内外の見物人で浜は賑わう。
 本祭りの夜にしばんば踊りの町流しがある。「しばんば」は薪にする柴を運ぶ老女、つまり「柴姥」を歌ったもので、おだやかで素朴なメロディーと身振りを持ち、近隣の町村にはなく、生地のみで歌いつがれてきたものである。
  姐まいさどや錨のはだこ 質においても流りやせぬ
七七七五調の即興歌が付され、笛、尺八、太鼓の伴奏で踊られた。昔は深笠や頬冠り、女装、男装でどこの誰ともわからぬ姿で踊ったという。これは海の彼方の常世の国からあらわれた「まれびと」の姿であり、現世の人と常世の人が一つになって踊るという心性によるものである。現在は老人会、婦人会、小学生の男女がいりまじり、女は揃いの浴衣、男ははっぴ姿で町の両端からふたてにわかれて町流しをする。伴奏も三味線が加わり踊りも華いだ振り付けとなった。
えびす祭り(入善町)
 8月26、27日は入善町吉原神社のえびす祭りである。村人は沿岸漁業を生業としている。また明治以前、北前船の寄港地で、黒部扇状地帯の穀倉地をひかえて米やわら製品の積み出しが盛んであった。神輿はこの北前船を摸したもので、長さ4メートル、重さ400キログラム、赤・黄・褐色に塗られ、舳には「恵比寿丸」と墨痕あざやかな幟を立てる。船の中央の屋形の前には朱塗りの鳥居、船端(ふなべり)には10箇の高張りちょうちんをつるし、船の周囲は波しぶきをあしらった幔幕を張りめぐらし、帆を高く張る。
 宵祭りの渡御は夕方6時、担ぎ手は42才の厄年の人たちである。神輿が社を出立する時、音頭取りが「柱起し」を歌う。帆柱を立て、帆を張って出航する際の歌である。
  帆は法華経の80巻 よいとな−
荘重な節回しにつれて屋形船が立ち上がる。屋形船の巡幸中は航海中の歌として「櫂節」や「あかとり節」が歌われる。「あかとり」とは船の内へ入った水をかきだすことである。
  出船可愛いや入船よりも 入れて出船がの−なけりゃよい 
          よいよいありゃりゃんこりゃりゃん よ−いとな−
囃子のとき、担ぎ手が船を上下左右に揺すり、またいっせいに地をけって飛び上がり、船が大波にもまれる様子を表現する。祓を受ける家は、以前は網元の家々であったが、現在は今年新築した家、嫁を迎えた家である。それらの家へ神輿をおろすことを錨をおろすという。庭では花笠音頭、小原節の踊りが演じられ、集まってきた人々に酒、肴、重箱詰めの馳走がふるまわれる。大皿には刺身と鯖の押しずしがうず高く盛られる。大盃についだ酒や一升びんの回し飲みなど、客に酒を強いることが馳走とされている。
えびす迎え(魚津市)
 魚津市経田は漁業を専業とし、明治初年から北海道方面に盛んに出漁した町である。昭和36年頃まで、毎年11月20日になると、寒くなるので帰郷されるえびす様を迎える祭りを行う家があった。その晩は、どっさりお金を稼いで北海道から帰られるえびす様のために、ご馳走をこしらえ、玄関の大戸をあけて待つ。神棚の下に客用の座布団を置いた神座をしつらえ、お膳をすえる。ご馳走は2匹の生鯛、神酒、小豆飯、おつけ(魚の入った豆腐汁)、おひら(山菜、野菜の煮しめ)鯖や鰯の押寿司である。灯がつく頃えびす様がおつきになる。トート(主人)が「今年はおかげで沢山もうけさせてもらって有難うございました」と心の中で唱えながら神酒をつぐ。ご膳をさげたおさがりは家族そろっていただく。
 1月20日は、ふたたび北海道へ旅立ちされる日で、やはりご馳走をつくり「どうぞ今年もまめで稼がせて下さい」とあいさつして、えびす様を早朝にお送りする。この日に親戚の人々を招待して小豆粥をたべる習慣があった。粥の中へ古銭を型どった団子を入れ、今年もこのように金をもうけさせていただきたいと願ったのである。
おわりに
 1年の最初は、本年の豊漁と厄難よけを願う予祝祭としてのぼんぼこ祭りにはじまる。夏には海の幸を満載して神前に捧げる魚津のたてもん祭りとなり、また黒部市生地や入善町吉原の浜では春の漁の感謝と、秋の出漁への願いをこめたえびす祭りが行われる。秋には放生津の築山神事があり、ついで経田のえびす迎え等、1年間の豊漁と安全を守護し給うたえびす神への感謝祭でしめくくる。このように、えびす神は1年の中、幾度か常世の国、海底の国、遠い海の彼方等からあらわれ、海浜の人々の生活と生業を守る神として古くから信愛されてきたのである。
 富山湾沿いの家々の神棚には、海中から拾いあげたり、地曳網にかかった像や石をえびす神として祀る例が少なからず見られる。こうしたえびす神の信仰的背景には、海を渡りくるもの、海より出現するものを聖なるものとする古い考えが潜在するのである。
(うるま もとみ・富山県文化財保護審議会会長)
−平成6年2月26日放送−
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