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テレビ放送講座 平成10年度テキスト「第5回 合掌づくり再発見 〜世界遺産への道〜」


 富山県民生涯学習カレッジ本部   '99/02/13

TOP 第5回 合掌づくり再発見 〜世界遺産への道〜 長谷川 和衛

風雪を刻んで 〜富山の住まいと暮らし〜世界遺産としての視点
 世界遺産は自然遺産と文化遺産に分けられ、日本国内に見られる文化遺産としての多くは、1994年12月登録の古都京都の文化財(寺院)がその多くを占めている。姫路城や、奈良の法隆寺地域の仏教建造物が1993年12月に最初に登録され、この年は自然遺産として「白神山地地域」と「屋久島地域」も同時に登録された。
 文化遺産としての「白川郷・五箇山の合掌造り集落」が登録されたのは1995年12月であった。ユネスコ憲章には「国家は、その価値が人類全体に帰属するような遺跡に共同責任をおう」とあり、1972年ストックホルム国連人間環境会議では「危機に瀕する環境に対して、国家を越えて保全の責任がある」とする考えが定着しはじめた。人類の文化および自然遺産は、本来相互に関連しているという認識が育ち、1972年第17回ユネスコ総会において「世界遺産条約」が採択され、1995年2月世界の140カ国が批准するにいたった。
 こうした世界遺産への流れを考えるとき、人類の歴史は多くの過ちをおかし、貴重な世界的遺産を灰燼にきしてきた。第2次世界大戦で京都や奈良が爆撃にあわなかったことは、人類共通の価値への配慮責任が働いたと言われている。五箇山の合掌造り集落では、花火の禁止などをうたっているが、まさにマッチ1本で消滅する世界遺産なのだ。チベットのポタラ宮や中国福建省客家の円楼などを比較するとき、燃えやすい文化と燃えにくい文化の相違点は、平和であったのか、戦いの歴史に翻弄されたのかが、その構造主体にも外観にも現れている。
 海に囲まれた日本、外敵の少なかった歴史は、自然災害を前提としたあるいは自然環境に調和した遺産とでも言えよう。日本における世界遺産への誇りは、燃えやすいものを守ってきたことにおいて、「木の文化」への誇りでもある。しかしながら地球を取り巻く酸性雨は石造物や青銅製の銅像などをおかしはじめ、経済活動等が引き起こす新たな課題は、地球環境へのさらなる問題を提起しはじめた。
合掌造りという名称
 テレビを見ていたら、滋賀県の方で「合掌造りの民家」があるという話が報道されていた。この話を聞いてどのように理解し考えを整理すべきなのか、現実問題、世界遺産としての「合掌集落」のある県内に住む一人として明確にしておきたい。
 本来建築用語としての合掌造りとは、2本の材を山形に組み合わせる扠首(さすくび)造りのことであり、滋賀県の事例もその意味からすれば間違いとは言えない。基本的に屋根というものはそのように造る場合が多いからでもある。では五箇山の合掌造りはどのように違うのかと言えば屋根の大きさと、その勾配がより手を合わせるイメージに近いということではないか。合掌造りのことを別名ナンマンダブツとも言われ、学術論文等では藤島亥治郎著『庄川系民家の調査』(1936年)によれば「いわゆる合掌造りと土地の人の言う…」、五箇山地方では昭和11年の報告書で「土地の人の言う…」という扱いから見て、それ以前からすでに「合掌造り」という言葉が「いわゆる」というただし書きで紹介されている。
 さて問題は世界遺産としての「合掌集落の合掌造り」となれば、その意味するところ、建築用語以上の意味をもつ合掌造りとなっているので、言葉の使い方の難しさがある。
 五箇山で言う合掌造りも、切妻合掌造りから省略されての合掌造りであり、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」という正式名称として、そこへ世界遺産としての合掌造りとなったとき、滋賀県の事例からの「合掌造り」という言い方が建築用語としてより妥当だったのかもしれない。アナウンサーのイメージからか、世界遺産の合掌造りとダブっての用語使用となっていたようにも感じられるが、現実的には世界遺産の持つ重みが、白川郷・五箇山に限ってのみ用いられる「合掌造り」であることが、社会的にも誤解を少なくするのではないか。また観光土産等でのあやかり商法などにも、いまから商標登録等明確にしておく必要があろう。さらに建築用語がそれ以外の社会的意味を持ったとき、世界遺産に相応しい言葉の使い方が求められている。
合掌造りにみる「総持ち」とは
 「総持ち」とは、一つ一つの部材の結合状態全体としてより複合、統合化され、単体としての部材以上の強度や耐久性を、全体として発揮するように構築された状況を言い、また荷重など力の流れが、ダイナミックに骨太に対応処理されている状況をも言う。
 合掌造りでは屋根全体にこうした手法、発想が活かされている。
 伝統的建築物の倒壊等の原因には、様々な要素を包含しているが、「総持ち」は長い歳月の過程で、自然淘汰された結果としての施工方法であり、その土地に住む人々が永年培った知恵の結晶としてのものであった。
 またお互いに親類縁者の住まう建物として、地域全体が一つに結ばれた社会であるだけに、縄の結び目は堅く、合掌造りの信頼性は、こうした側面からも安全なものへと歩ませた。これらの意味を含めた広義としての「総持ち」という概念は、思い、思いやり、愛情のこもった合掌造りへと進化発展したと言えよう。
 地域共同型社会としての「ユイ」の存在は、お互いが協力連帯しあう社会としての結びつきであり、豪雪下の道踏みや、様々なコミュニティー機能が、有機的に連携するなかでの合掌集落であり、集落を守るための禁伐林を維持存続できる状況も「総持ち」の意味を持ってくるが、過疎の進む集落ではこうした人の繋がりは希薄なものとなり、集落全体が維持困難となり、昭和40年代、50年代での集団移転や廃村という現実があった。ほころび始めた村社会が、お互いに助け合う「総持ち」の社会であったことを物語っている。
合掌尻は遊びのピン構造
 棒が折れるのはその材に力が加わったから折れたのである。目には見えない力で曲がるとか折れるという現実は、確かに力が加わった証拠であろう。こうした目に見えない世界も、経験的にどれくらいの力までは耐えれるのか、失敗を繰り返し経験則で材の使い方、大きさを模索してきたことだろう。
 合掌造りのアマヘ上り合掌材の根元を見ると、薄暗く煤けて黒くなっているが、この部分を合掌尻と言い、尖った形になっていて、その受け側のウスバリの上には、コマ尻と言って椀型に窪みを設け、その受け穴(コマ尻)に滑り込ませてある。これは一見不安感を覚える工法であるが、スノーシェッドにも基本的には同じ工法が多く採用されている。この構造手法を構造学ではピン構造と言っている。
 一見弱そうに見える構造も、地震や風雪の荷重から逃げる知恵でもあった。現実に強風が吹けば、きしむ音も音エネルギーに結果として変換しているとも言えよう。人の関節に例えて言えば、関節が曲がることで、骨折を防いでいる。こうした遊びがピン構造の知恵であり、合掌造りの屋根がこうした工法を採用していることは、丈夫に造ったと思えば思うほど、材が折れる現実から学んできたものと思わざるを得ない。
チョンナバリは自然が造る構造材
 斜面に降り積もった雪は滑ろうとする。その力に抗して出来る樹木が根元曲がりの材となる。まさに内部応力を付加した材である。この樹木の癖を読み取って活かすところが、合掌造りの見せ場でもある。屋根からの荷重をチョンナバリの背に架けることは、理にかなった架構手法なのだ。一般的に住宅建築に、何故そうした材料が使われないのか、それは製材や流通・規格等の都合上、この根元曲がり部分は大量消費の前ですでに除外されてきたからであろう。
 こうした例を農作物に見れば、葉のつかない人参や大根が店頭に並び、曲がったキュウリよりも真っ直ぐなキュウリが市場で優先されているのも、野菜である以上に商品であるとする議論である。
 チョンナバリの利用は、屋根の小型化や空間構成としても巧みな扱いであり、合掌造りそのものが細部に見せる真のデザインとしての評価すべき点でもある。自然の形態をうまく活かした材は、年輪の筋を切ることなく有効な断面を維持することになった。
 こうした扱いは普請帳を見るとき、新たな発見をする。1本の材も山を越え、谷を渡り、村人の協力のもと雪の上を運ばれてきたものである。もったいないとする叡知が合掌造りのなかには込められている。
ハネガイは弓の原理
 木造建築の地震対策として筋交いは重要な役割をしているが、老朽化した建物や手抜き建築では、筋交いが名目上の材料となっている。
 合掌造りでは筋交いのことを「ハネガイ」とか「コハガイ」とも言い、茅葺き屋根の下地に網の目のように配されている。地震や風雪の合成された力に対して、有効な働きをする部材のことである。
 五箇山で見られたケースには、栗などの割材を、対角線上にそってヤナカを縫うように渡して、材そのものを弓なりに用いている。こうすることで、合掌屋根全体が剛性を高めつつ、横からの力に対しても、柔軟に対応している。まさに弓そのものの原理を応用した構造体としての施工方法が取られていた。また、その他の工法としては、屋根の一面に対して合掌材よりも長い材を両妻から交差するように入れることと、個々の合掌材の足元を固める意味からも×印状(コハガイ)に筋交いを入れるケースなどが見られたが、弓なりに用いたケースは細い材を多く使い、長い材をいっきに用いたケースは4本で対応されていた。屋根の葺き替え時期になれば、こうした重要な部材の結び目は、葺き替えの作業に従事した村人の確認を受けることで、安全性は保たれる仕組みが働いた。技術と社会が遊離していないことは、分業化という社会システムの盲点に対する警鐘でもあろう。
環境と合掌造り
 雪と合掌造り
 近年雪の少ない年が続いているが、一度雪になれば五箇山の生活は雪との闘いとなる。大きな建物になればなるほど、その雪の量は大変なもの、屋根の雪降ろしは、同時に降ろした雪の後始末という大変な労苦が待っている。
 かつて合掌造りの中での営みには蚕や紙漉きそして塩硝などが中心であった。そのいずれもが広いスペースを必要とし合掌造りは巨大化へと進んだ。その結果として降ろした雪を融雪池を設けることで、一階部分が雪に埋まることへの解決策になっていた。
 近年、上水道の整備普及以外にも塩ビのホースの普及は、谷を越えても水を運ぶことが可能になり、ポリシートとの併用で、冬場だけの仮設型の融雪池やコンクリート造りのケースも見られる。
 いずれにせよ、本来平野部に見られるような庭園の池という概念よりも、雪対策上の融雪スペースとしての池の要素が強く、近年は平野部との交流、雪が多く降らなくなったことと併せて、庭としての意識も見られるが、本質的に大自然に抱かれた渓谷美は、借景としてあまりある風景の中にある。
雪割棟
 合掌造りの屋根雪は自然に落下するものと考えがちだが、実際には屋根に上り、長い柄のコシケ(除雪具) などを使って棟の雪を取り除くことから始める。これをしなければ、棟には大きな重量の布団をかけたようになり、その雪の荷重は大変ものとなり布団を半分に割るのが、棟割作業としての除雪である。合掌造りの棟に実際上ってみると1メートル程の巾がありその雪の量に驚く。
こうした労苦の中から、雪割棟の考案が豪雪地帯の各地で取り組まれ、工夫改良が進み新潟県下の景観は克雪住宅の出現で大きく変化した。県内上平村では、楽雪住宅というネーミングで工夫改良されたケースも見られる。長い年月をかけて創られてきた景観美としての合掌造りが、新たな景観として様々な工夫、調和を得るためには、よりいっそうの検討がなされる必要があり、伝統的景観はそれだけで価値を持つ。
現実は合掌造りに住む人々にとっては、今も労苦を伴う雪降ろし作業であるだけに、高齢化の進むこうした地域では、世界の文化遺産の保存という狭間にあって、ことの深刻さは変わらない。
風と屋敷周り
 合掌造りの集落は、火災には無防備に近いが、消火栓の設置によって対応がなされている。観光客が多くやってくる集落ではタバコのポイ捨てや花火もこわい存在である。世界遺産の指定によってこれまで以上に危険が増している。こうした新たな問題は、水の便が全くお手上げだった以前の火災の歴史に比べて格段の防災体制になったとは言え、一度火災に見舞われると多くは歴史的史実まで焼失する危険をはらんでいる。
 合掌集落相倉の事例では、各家では土蔵や板倉と主屋の関係を、絶えず風上側に付属建物を配置することが行われ、家財は守られてきた。こうした付属建物は、単に距離を置くだけでなく、その間には植栽を施し、類焼を防いでいる。こうした対応は、土地の周辺環境も影響しあい、風の向きと各家の建て方にも様々な配慮がなされ、その集落の景観がこうした植栽とも連携している。
 菅沼集落では庄川の湖面水位がダム工事によって上がり、風の量や向きが谷筋に沿って変わったと言われ、自然の改変は微妙に影響を与えている。
 高速道路の橋梁工事にともなって新たな影響はないのか、自然環境の真っ只中に存在する文化遺産を守っていくことは、風ひとつにも配慮が求められ、景観を読むことは、そこに住む人々の心を知ることでもある。
オーハエが村を守る
 合掌集落で自然解説のボランティア活動をしていると、観光客の方々から「紅葉は何時頃ですか」との質問が多い。風の少ない年の紅葉は美しく、その年によって見頃は1、2週間は相前後すると答え、事前に役場へ確認の電話をいれることを勧めている。
 こうした対応以外に、「人はなぜ紅葉に感動するのですか」と、逆に質問してみると美しいからだとの答えが多い。では、なぜ美しい紅葉があるのかと問うとう−んと考え込んでしまう。寒暖の差が美しさをつくるのだが、それ以上に大事なことは美しく紅葉する樹林帯があるからなのだ。特に雪崩から集落を守ってくれる「雪持ち林」。この樹林帯を五箇山相倉では大林(オーハエ)と呼び、雪崩から守るための禁伐林でもある。
 土地の掟として、雪崩から守ること以外にも保水力を高め、樹林の持つ真夏の清涼効果は、その土地に住む人々に快適な環境を提供しクーラーのいらない村でもある。
 紅葉の季節に、禁伐林の多様な林層が織り成す美しさは視角的にも美の世界を提供し、観光客に感動を与える。このような禁伐林としてのオーハエの中を歩くとき、信仰の対象としての神木も見られ、その昔雪崩から村を救った夫婦欅に、村人の感謝の念が禁伐という掟を生み、村の歴史と村人の心を知る機会でもあった。
地球にやさしい合掌造り
 合掌造りを維持するためには多量の茅がいる。茅は元来荒れ地に繁殖する植物で、各家では周辺の山の茅場を維持管理することで、適切な茅を確保してきた。
 住まいをかたち造る屋根に使われる茅は、単に屋根のみに使われものではなく、家の周りで乾燥させ、雪垣や防寒敷茅としても用いられた。
 冬の平野部山際の集落を回ってみると、約2メートル四方の茅で編みこんだ、オーダレを見ることができる。家の回りの雪囲いに使われているが、こうした天然素材も、採光の有利さがある塩ビの波板にかわりつつある。
 風のことを考えるとバタつく塩ビよりもオーダレが良いという実感も、平野部の土地改良が進み、茅の入手難や、オーダレを作る人手がなくなりつつあることが、茅利用の低下を招く要因になっている。このことは、平地の茅葺き民家が消滅していく理由の一つにもなっていた。
 合掌集落は今も茅は重要であり、使われた茅は、古茅となって大地にもどされ、そこで畑の肥やしとして、また、除草の手間を省くための遮光用にも用いられた。こうした利用によって、桑や楮の成長にも活かされ、合掌造りの里も、リサイクルのシステムの機能する社会であった。
 茅を得るためには山の茅場まで刈りに行く必要がある。山の生活にはきつい作業が多く、今日では森林組合が一貫した請負制で、屋根の葺き替えまで行っている。高齢化したこの地では地球にやさしいとともに、人にやさしい合掌集落でもある。
能登大窪大工と合掌造り
 能登と越中五箇山を結ぶ歴史には、むぎや節や漆の掻職人、そして紙漉きの生産向上には能登大窪大工との交流があった。
 今も昔も生きていくためには、地場産業として商品作物を作らねば、金納地では役銀も収められなかった。一村一品運動も考えてみれば、長い歴史上の必然性をもった価値意識である。
 元禄期になると、民間では建築がさかんになり、大窪大工の活躍は能登・越中・加賀はもちろん飛騨までに及んでいる。天領飛騨には飛騨の匠としての作用圏と、加賀藩内の作用経済圏があったろう。大窪大工は文化・文政期には一大勢力を発揮したという。
今日でも白川村は富山県側と深く経済交流がなされ、行政上は高山へ傾斜するという。地勢上の必然性が今も続いている。
 飛越への活躍の背景には、和紙を作るためには大きな干し板を必要とし、宮大工としての彼らには、槍鉋ではなく平鉋も使える大窪大工の協力が求められた。同時に、冬場の仕事としての紙漉きには大きな作業場が必要で、雪深い五箇山に適した単棟として合掌造りの必要性も高まったものと考えられる。
 当時の記録として御母衣の大戸家の棟札には、天保4年(1833年)越中射水郡長坂村の大工(大窪大工と推定)の名が記されている。今は消滅した能登石動山の堂塔伽藍、県内氷見地方の民家に大窪大工たちの技の片鱗を知ることができる。
 大窪大工の歴史は、藩の経済力の低下にともない、新たな活路を求めての旅立ちでもあったが、そうした活躍の証が後世に「合掌造り」と命名され、世界遺産になったことに、彼らの歴史的役割の救いを感ずる。
合掌造りの間取り
 間取りを分類するとき、妻入りなのか平入りなのか、右勝手なのか左勝手なのか、さらに規模別に分類し、その組合せでその種類わけをする。
 それぞれの部屋がどのような性格の部屋なのか、柱にはどのような名前があるのか、イロリの座名はどのようになっているのか、そうした分類と、さらに各地域で部屋の配置形態の変化などを細かく眺めると、その土地土地の特色や風習、仕来たりなどの営みを知ることができる。
 オエのイロリは人間関係を知る上で重要なコミュニティーゾーンであり、暖をとり、炊事と作業をする場である。オマエは仏間として神聖な場である。チョウダはナンドともいい、家長の寝室として使われ、きつくつらい作業をして寝てしまうため万年床ともなっていた。言い方を変えれば足の無いベッドでもあった。
 このチョウダへ出入りする部分を「帳台構え」と言い、床より5寸上がりの片引き板戸になっている。この部分は格調のある構成美を示している。
 ニワは水仕事等をする空間で、紙漉きや風呂場と、ミージャと言って流し場のコーナーがある。
 マヤは農耕用牛馬を飼うコーナー、重要なのは厩肥を得るためのものである。間取り図に生活図としての書き込みをすることで、生活の有り様が伝わってくる。時代とともに部屋に置かれている家具や道具等を細かく書き込むことで、生きた間取り図とすることができる。
 物質文明にどつぷりと浸かった今日、合掌造りでの生活も、押し入れのない平面であるだけに生活の仕方にも工夫がいる。間取りの形態は田の字型の整形の間取りである。
(はせがわ としもり・日本民俗建築学会会員)
−平成11年2月13日放送−
※ 著者の役職名は、放送日現在のもので表示しています
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