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テレビ放送講座 平成8年度テキスト「第7回 万葉の流れとともに−冬の珍味モクズガニ漁など−」


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TOP 第7回 万葉の流れとともに−冬の珍味モクズガニ漁など− 小橋 為義

川と生きる 〜富山の川魚漁〜子どもの頃
 戦前の小矢部川には、何処でもたくさんの小魚やカニ、エビなどが生息していました。
 子どもの頃には、小川の縁に生えている柳の木の下や石垣のあるところで手掴みで小魚やカニを捕り、よくカニに手を挟まれたものです。
 その頃の子どもの遊びのひとつに自転車のリム(車輪の外周の枠)を使ったカニ捕りがありました。
 夕方、4、5人の友達と誘い合って川にでかけます。自転車のリムの下に網を張り付け、その真ん中に魚のあらを付けて川の中に沈めておくと、30分もすると10匹前後のカニが捕れました。
 カニの手足を押さえるのに4、5人いると都合がよく、2、3時間でバケツに一杯捕れたものです。
 私が初めて小矢部川へ漁に出たのは10歳の頃で、父親に連れられてアユ漁に行きました。13歳の時には13尾の鮭をヤスで捕ったのを今でもよく覚えています。
小矢部川の春夏秋冬
 小矢部川では、正月も7日を過ぎると漁にでます。
 冬場は、川の水も冷え込んでいますので魚たちの動きも鋭く、流し網などを使ってコイを捕ったり、テンカラ網を使いフナやウグイを捕ったりしています。
 3月になると水も少しずつぬるんできまして、モクズガニが動き始めます。寒い間、ウロの中でじっとしていたモクズガニが、この時期になると海で産卵するために下り始めるのです。それを「カニのもんどり」という網を川に固定して捕ります。
 春は、ウグイの産卵期でもあり、この時期のウグイを「サクラウグイ」といって婚姻色がついてとても美しくなります。この子持ちの「サクラウグイ」は投網を使い5月末まで漁をし、モクズガニは、4月末まで漁をします。
 梅雨の時期になりますとアユ漁が解禁され10月まで、ずっとアユを投網で捕ります。小矢部川のアユは「尺鮎」といいまして、県内のどの河川のアユよりも大きくなります。
 それは小矢部川の水温が高く、アユの餌になる珪藻類が豊富なため、アユが良く育つからです。
 夏の間は主にアユの漁をしていますが、水田が青く繁る頃になりますとナマズの延縄(はえなわ)漁を始めます。
 この頃のナマズは、「青田ナマズ」といって水田に産卵しにきます。
 昔は、農業用水も今のようにコンクリートではありませんから、ナマズたちが農業用水から水田に入り産卵していましたが、今ではナマズも水田の中に入ることができず産卵場所も減って、ナマズもずいぶんと少なくなってしまいました。
 7月になると海に下っていたモクズガニが再び川に戻ってきますので、「カニのもんどり」網を仕掛けます。
 そして10月も10日を過ぎた頃に鮭が上ってきて、鮭漁が始まります。鮭漁は12月の末、冬至の頃まで行って1年の締め括りになります。
 今申しましたように小矢部川では、春夏秋冬、1年中漁ができます。
 その理由は、小矢部川の源流がそんなに高い山ではないこと、流れがゆるやかで大きく蛇行しているために水温が他の河川よりも高いという大きな特徴を持っているからと思います。
モクズガニ漁
 小矢部川のモクズガニは、冬の珍味として関西地方では有名です。
 このモクズガニは、甲羅の大きさが15センチくらいまでに成長し、色は茶褐色をしていますが、茹でると真っ赤になり、それが小矢部川のモクズガニの特徴でもあります。
 塩茹でしたモクズガニのかにみそは天下一品です。
 このモクズガニは、戦前から関西地方に出荷していますが、私の地方では昔、春祭りのときに大道で5、6匹山盛りにして売っていたりもしていました。
その頃からモクズガニのことを「川ガニ」とか「渡りガニ」(渡とは古い地名)と呼んでいます。
 モクズガニを捕る漁法には、網を使う方法とカゴを使う方法があります。
 網を使う漁法は、昔は「カニのもんどり網」と言っていましたが、今では「ふくろ網」と言っています。
 「もんどり」という言葉の意味は、定置したもののことをいったように思います。昔は、仕掛けた網のことを「カニのもんどり」「エビのもんどり」「鯰のもんどり」「鯉鮒のもんどり」と呼んでいました。
 それが昭和45年頃、県に登録するため「ふくろ網」と言うようになりました。この「ふくろ網」の仕掛け場所は、それぞれの人によって違いますが、だいたいは川の流れによってきまります。
 川の中にモクズガニが移動する道がありその道を遮るようにして網を仕掛けます。
 川の流れには、上の層を流れている水と下の層を流れている水があります。この下の層の流れがある所をモクズガニは好んで移動するので、網を仕掛けるには良い場所になります。
 また月夜と闇夜によっても仕掛ける場所が違ってきます。闇夜は多少浅い場所でも仕掛けることができますが、月夜になると深い場所に仕掛けなければなりません。
 それはモクズガニが月の明かりを嫌って深みへと移動するからです。
 もうひとつ気をつけなければならないのが雨です。川が増水して網が流されてしまうことがあるので、雨の降る時は川の水量に特に気をつけます。
 カゴ漁法は、横が70センチ、縦が40センチ、高さが30センチのカゴの中に魚のあらを付けて川の深みに1晩入れて置きます。だいたい2、30個のカゴを舟に積んでいくつかの深みに沈めて置きます。
 翌朝引き揚げに行き、多い時はひとつのカゴに100匹くらいのカニが入っている時もあります。しかし、川の水温が10度くらいに下がるとカニはあまり餌を食べなくなってしまうので捕れなくなってしまいます。
 戦前は、庄川や神通川、白岩川までカニを捕りに行ったといいます。
 小矢部川では一時、川が汚れてカニはおろか小魚までいなくなったときもありましたが、今ではモクズガニも年間5トンくらい獲れるまでに回復しました。
 漁業組合では、甲羅が5センチ以下のものは捕らないこと、また産卵期の5月から10月20日までをモクズガニの禁漁期間として資源確保に努めています。
ナマズ延縄(はえなわ)漁
 夏の間はアユの漁をしていますが、7月にはその合間をぬってナマズ漁をします。夕方に出てナマズの延縄を仕掛け、それからアユの投網をまいてアユを捕り、深夜帰りがけに延縄を回収してナマズを捕ります。
 延縄の仕掛けは、人それぞれによって違いまして、1尋(ひとひろ・約1.5メートル)に針を1本付けたり、2尋に1本付けたりします。
 長さも人によってまちまちで、私は1,000メートルから1,500メートルの延縄を使っていました。
 この延縄に、ミミズの餌を付けて仕掛けていくのですが、仕掛ける場所はその日その日の川の流れ方を見て、流れに対して縦に入れたり、斜めに入れたり、横に入れたりしますが、だいたいは流れの緩い淵を選びます。
 ナマズに限らず、魚というものは水中に立っている糸や針に対しては警戒しますが、横に寝ている糸や針に対しては警戒が薄いので、1本の長い縄に何本もの針を付ける延縄漁ができるのです。
 昔はよくナマズの蒲焼や刺身などを食べたものですが、今ではよほど物好きな人しか食べなくなってしまい、ナマズ漁をする人もほとんどいなくなってしまいました。
川エビ漁
 川エビは、梅雨が明けて夏になると川の中流まで上ってきます。川エビは、早い瀬を移動することができず、流れの緩い場所を選んで上ってきます。
 この川エビが通る緩い流れの所に「さかもじり」といって竹で編んだカゴを仕掛けます。「さかもじり」というのは、円筒形をしていて入り口に返しがついている、ちょうどウナギを捕るためのカゴを大きくしたようなものです。
 この「さかもじり」を川エビの通り道に固定して、両側に竹や葦で壁を作って中に導くようにしておきます。
 昔は1晩「さかもじり」を仕掛けておくと1斗くらいの川エビが捕れたものです。
 川エビは、流れが早すぎて川を上ることができないと、陸に上がってその瀬を越えると言われています。
 私が小さい時、父に連れられて川エビの漁に行った時のこと、川原が紫色に光っているのを見まして、何だろうと思ったら数えきれないくらいの川エビが早瀬を避けて、川原を帯のようになって移動している最中でした。
 この川エビの目玉が月明かりで紫色に光っていたのです。この光景は今でもよく覚えています。
 これほどまでたくさんいた川エビも一時はまったくいなくなってしまいましたが、近年少しずつではあるが見掛けるようになってきましたので数年後には、川エビ漁が再開できるのではないかと思っています。
ウグイ漁
 小矢部川流域でもっとも身近な魚といえば、四季を通じてウグイではないでしょうか。
 昔は、天秤棒を担いだ行商の人がイワシなどを売りに来ましたが、このあたりまでくるころには、すっかり魚もなれてしまっていておいしくありませんし、またそれを買うお金も持ち合わせていませんでした。それよりも川に行けば生きた魚がたくさんいましたし、その中でもウグイは簡単に子どもでも捕れる魚でした。
 県東部の人たちは、このウグイを食べませんが、焼いて良し、煮て良しの美味しい魚です。このウグイは、春に産卵する魚ですが、この時のウグイは赤い婚姻色に染まって見た目にもよく、子持ちなので好まれています。
 ウグイは、投網を使って捕りますが、その時期によって早瀬でまいたり、淵でまいたりします。網もまく場所によって大きさや重さの違った投網を使いわけています。
小矢部川に生きて
 戦時中と戦後しばらくは、配給制度といって生活に必要なものすべてが統制にかかっていた時期がありました。その中で何故か川魚だけは統制から外れていまして、自由に売買ができました。
 戦時中のこと、兵士として出征する息子がいる家庭では、これが息子との今生の別れになると思い、なんとかしてお頭(かしら)つきの魚でお祝いをして送り出してやりたいと思うのですが、海の魚は手に入れることができないので、鯉でもなんでもよいから、お頭つきの魚を捕ってくれないかと母親がよく私の所へ頼みに来ました。
 けれどもその頃は、食糧事情もよくないので腹が減って網をまくこともできないと言うと、米を1升2升と持ってきてくれこれでなんとか魚を都合してほしいと頼まれたものです。戦時中はほんとうに食べるものが何も無く、この人たちが持ってきてくれる米が私たち家族の命の綱でした。
 戦後、昭和25、6年ころから小矢部川流域にも製紙工場などができ始めると、川がだんだんと汚れはじめてきて、魚もいなくなり、漁ができなくなってしまいました。
 仕方がないので建設現場で働いた時期もありましたが、昭和45年頃までは魚が減ることはあっても増えるようなことはありませんでした。
 昭和50年頃からモクズガニが少しずつ戻ってきまして、小矢部川で漁を再開することができるようになりました。
 小矢部川では、縄文時代から人が住み着き漁をしてきたといいます。
 この川は万葉集にも出てくる、古くから人との関わりの深い川です。
 それも小矢部川が魚がたくさんいる豊かな川だからこそだと思います。
 この豊かな万葉の流れ「小矢部川」を汚すことなく、大切にして漁を続けていければと思っています。
(こはし ためよし・川漁師)
−平成9年3月1日放送−
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