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テレビ放送講座 平成元年度テキスト「第2回 海底峡谷を探る」


 富山県民生涯学習カレッジ本部

TOP 第2回 海底峡谷を探る 藤井 昭二

 富山湾には日本の、いや世界にも見られない幾つかの現象が知られている。蜃気楼・ホタルイカ・海底林・海岸浸食などがあり、富山県民によく知られている。
 これらのことは富山湾とそれを囲む地形の特徴すなわち高い山があり深い海があることで説明することが可能である。
富山湾の形態
  1. あらまし
     富山湾は本州の中央にあり、北側に突出した能登半島に囲まれた、北東方向に向けての開放性の湾で天然の良港となっている。すなわち西や北西の風に対しては大変安定しているが北東方向に開いているので同方向からの風や波浪に対しては弱い。
     富山湾は太平洋岸の駿河湾や相模湾と同様水深1,000メートルを有する、日本で深い三大湾の1つである。
     富山湾の西と西北は能登半島が突出し、南には富山平野があり、同平野の東側には海抜3,000メートルの北アルプスが分布している。
     富山湾の特徴は深くて急勾配であること、大陸棚の発達の悪いこと、海底谷が刻み込んでいることである。勾配の強い所は氷見の沖で、岸から10キロで1キロの深さ。10分の1の勾配となっている。
     一番深い1,200メートルの所は東経137度20分、北緯37度15分付近から東側に向かい富山舟状海盆に合流し、富山舟状海盆は白山瀬の沖で大和海盆に入り富山深海長谷となって水深3,000メートルの日本海盆に注いでいる。
  2. 大陸棚
     大陸棚は能登半島に沿ってよく発達している。飯田湾沖では特によく発達し、約20キロ東に突出している。大陸棚の幅は普通6から7キロで、狭い所で4キロである。東海岸では扇状地が大陸棚の上に堆積し、大陸棚の形が失われたものであろう。大陸棚外縁の深さは100メートルから150メートルで場所によって違い平均120メートルである。
     大陸棚は第三系の堆積岩が浸食されて平坦化したもので、その上に薄く堆積物が分布していることがスパーカーの資料から知られている。東海岸では扇状地の礫層から構成されている。黒部川河口の試錐で600メートル以上礫層からなることが確かめられた。入善町吉原沖の水深20から40メートルの深さから海底林が発見されている。
  3. 大陸棚斜面と海底谷と海脚
     大陸棚の末端から湾床までの間を大陸(棚)斜面と言っており、水深200メートルから800メートルの間で大陸棚斜面の平均傾斜は約7度となっている。
     大陸棚斜面には湾奥部では海底谷が刻まれ、海底谷と海底谷との間には海脚が形成されている。海底谷の中には現在の河川と連続しているものと、現在の河川と関係のないものとがある。後者は氷見沖に多く分布している。氷見では現在大きな河はないが4つの海底谷が100メートルの等深線を刻んでいる。現在の河と関係の無い海底谷はその他新港沖、四方沖、生地沖、吉原沖などに分布している。また黒部川の延長には海底谷は形成されずそこから3.5キロ南に海底谷が分布している。海底谷は陸上で形成されたものが海で被われた溺谷と考えられることもある。しかし2万年前に海面低下が知られているが、それは100メートル前後である。100メートル以下の所はどの様にして形成されたかが問題となる。海底電線などが地震の際切断されることがある。海底谷は大陸棚外縁に堆積した堆積物が地震などの衝撃で雪崩のように落下して斜面を削剥することを繰り返して形成されると考えられている。そのような目で調べると普通水深800メートルの様な深さに運ばれない粗い堆積物が分布していたり、大陸棚斜面の麓に砂泥互層の堆積物が分布している。
     湾床は水深800メートルから1,300メートルにかけての大陸棚斜面に囲まれた盆地底である。これまで何回か採泥が行われたが冷たい黒色の泥が分布するだけであって蠕虫顆を除いて生物は採集できなかった。しかし「しんかい2000」の潜水の予備調査でつくられた5千分の1地形図では比高100メートル位のゆるやかな窪みが知られており、また火山岩状の突出がみられた。また生物の這い跡や多くの巣穴が分布し、エビやゲンゲが多くみられ、採泥の時知られた不毛の地の印象を払拭している。
     富山湾の構造は湾奥部では陸上の黒菱山断層や海老坂・石動断層に平行または延長の断層が分布し、それらに規制されて盆地状になっている。海底谷の谷壁や大陸棚から氷見層が採集されるので、富山湾の形成は氷見層形成後大きく変動したものである。
  4. 富山湾の海岸線
     ではこの富山湾の海岸線はどの様になっているのであろうか?
     東側は親不知から宮崎までが岩石海岸でその間に境川が多量の砂礫をもたらし礫浜を作っている。その西の黒部川・片貝川・早月川・常願寺川の各扇状地は後背地の3,000メートルの山から運ばれた礫が直接海に堆積して扇状地の礫海岸を作っている。常願寺川・神通川・庄川・小矢部川の各扇状地はその先で自然堤防帯に変わるため粗砂から細砂の浜になっており、白岩川は夏は砂浜で冬は砂が持ち去られ礫浜となっていた。射水平野や氷見では砂丘が形成され放生津潟・十二町潟が広がり、そこがゆっくり埋積されたため泥質の地盤の悪い地域が広がっている。
海水の性質
 富山湾の水温は深度300メートルで摂氏2度と一定値をとるようになる。すなわち水深300メートルより以浅の対馬暖流と300メートルより下の日本海固有冷水塊とに分けられる。対馬暖流の表面水温は3月の摂氏9.7度を最低に9月の摂氏25.9度が最高となって、平均摂氏16.9度と気温の平均摂氏13.3度より3.6度も高いのが特徴である。冬季12月摂氏15.9度、1月摂氏13.0度、2月摂氏10.6度と暖かい海水から蒸発する水分は多雪の原因となり、かわき雪が降るような日に海岸にでると海面から水蒸気が盛んに蒸発するのをみることがある(蒸気霧)。
 河川水の影響は顕著で、塩分濃度は春季.夏季には融雪水の影響が大きく23から28‰と低くなり、秋季から冬季には32‰と高くなる。河川水は表面下2メートルでは32から33‰と変動は小さくなるが水深10メートルでは殆ど変化がなくなる。鮭や鱒は河川水の臭いで母川に戻ると言われている。前頁の図は台風一過1979年10月23日の洪水流の富山湾への流入と鮭や鱒の各河川への径路を推定したものである。
 富山湾は日本海に開いた湾であり、水深が深いため水の移動が行われるので、瀬戸内海の様な公害は起こりにくいが年に何日かの赤潮の発生が知られている。
富山湾の不思議
 富山湾の不思議、蜃気楼・海底林・埋没林・海岸浸食について説明する。ホタルイカについては別に詳しい説明があるので省略する。
  1. 蜃気楼
     蜃気楼は春先5月前後のがよく知られている。それも魚津を中心によく知られている。北陸では対馬暖流のため冬季に多量の降雪がありそれらは高い山では夏でもお目にかかることができる。5月の平均気温摂氏16.2度は1月の摂氏1.9度から14度も高く、かなり一定してくる。そこに太平洋からの風は山をこえてフェーンとなり多量の雪を融かし、融雪した冷たい水は川をかけ下り海面の上に広く拡がり海面に接する空気を冷却してそれに接する空気の密度を大きくし、その上の暖かい密度の低い空気との間に全反射を起こし易くなる。魚津からよく見ることができるのは魚津の町の海岸線が凹んで対岸が見え易いことなどによる。冬にも起こるがあまり知られていない。
  2. 埋没林と海底林
     富山湾には魚津の埋没林や入善沖の海底林が知られている。魚津の埋没林はスギを主とした約2000年前、キリスト紀元の古さのものである。入善沖の海底林は距岸500から1,000メートル沖の水深20から40メートルに分布し、樹種はハンノキ・ヤナギを主とするもので8000年から1万年前のものである。これら特に後者は現在発見されている世界で唯一のもので後氷期の海水準変動に伴う現象として説明される。後氷期の海水準変動は世界的なものであるのでなぜ富山湾にだけ発見されるのか。これは魚津や入善が片貝川・黒部川の各扇状地にあり、治水の安定した現在これらの河川は氾濫することは少ないが、本来扇状地は氾濫し土砂を堆積することによって形成されるものである。ということは、海岸浸食を上回る急激な堆積によって、埋没林が保存されたということと、たまたま研究者がそこにいたということである。
  3. 海岸浸食
     富山湾には海岸線に現代の万里長城が築かれている。なぜこの様な親水性を妨げる不細工なものができたであろうか?それは海岸浸食から国土を守ろうとする必死の努力の表れである。ではなぜ海岸浸食が盛んなのであろうか。波は遠浅の海岸であったら波のエネルギーは減殺されるが、富山は岸近くまで深いため浪のエネルギーが減殺されることなくもろに岸にぶつかり、また、漂砂は海底谷を通して沖に運搬されてしまうためである。また北東に開いた富山湾は、台湾坊主などの低気圧により発生したうねりの高浪をもろにうけるため、寄り廻り浪という特有の現象がおこり海岸浸食が激しい。
     富山湾の海岸浸食は特に湾外に当たる下新川海岸で激しいが他の地域でも相当にある。
     富山湾に注ぐ河口は冬季に東側から州が発達し河口を塞ぎ、春の融雪水で州は破られる。近年ではブルドーザーなどで人工的に水道(みち)がつくられている。これで分かるように東から西への沿岸流が強く、堤防を海に突出すると東側に堆砂し、西側は浸食されるのが富山湾での一般的傾向である。
     海岸浸食は戦後に始まったものではなく藩制の頃から知られている。明治時代に造られた護岸は今でも高月海岸に残っている。戦後宮崎漁港の築港に伴い泊の海岸の浸食が激しくなったことは記憶に新しいが、市振漁港の建設に伴って国鉄の市振駅付近の浸食が激しくホームに砂礫が打ち上げられ北陸線が4回も不通になっている。突堤や堤防の建設によっても海岸浸食はなかなか食い止めることができなかったが、近年離岸堤の建設に伴いトンボロなどが発達し、浸食が少なくなってきている。
富山湾と人間社会
 対馬暖流は毎秒200万立方メートルの暖流を対馬海峡から津軽海峡に2か月かかって運搬している。これは魚だけでなく温度を運搬していることである。富山と同緯度の太平洋岸の小名浜とを比較してみると、富山の平均気温摂氏13.3度、小名浜のそれは摂氏12.8度であるので富山の方が暖かい。このことは親潮寒流が太平洋岸に沿って南下するから起こることで、4月から10月にかけて富山の方が暖かくなっている。
 また降水量は富山2,388ミリ、小名浜で1,396ミリと1,000ミリも多くなっている。冬季で6倍、夏季で1.5倍も多くなっている。冬季の多いことは多雪をあらわしている。1〜2月の平均気温が摂氏2度であるが、海水温は摂氏12から10度で波浪で撹乱された海からは風呂の様に水蒸気が立ち昇り、雪となる。
 現在の所富山湾は漁場としてのみ利用されている。
 縄文遺跡からもおもりがよく発見され、川魚特に鮭鱒が盛んに捕獲されたことであろう。また縄文中期の海進に伴って蜆ヶ森、小竹、朝日貝塚などが知られており、かなりの内陸まで海進のあったことが知られている。
 海岸を最もよく利用しているのは勿論漁師で海底谷の谷頭はアイガメとかフケといって古くから漁師に知られている。
 対馬暖流は温度を運び、魚を運んでいる。ではどの様な魚がいるか。マグロ、ブリ、カツオの様な回遊魚が捕れる。富山での漁業は定置網が発達している。
 水深300メートルより深い日本海固有冷水塊からタラ、ベニズワイ(ガニ)※、カガバイ、エッチュウバイを取り出しているのも漁師である。これらは水深500から600メートルより深い所で採集されるのでそのため特有なワナ、すなわちバイ篭やカニ篭などが下ろされる特有な漁法が発達している。
 また洋上の交通は藩制時代の北前船により日本海の国内貿易が海を利用して盛んに行われ、明治・大正・戦時中大陸との往来に利用されてきた。
 富山湾の空間は湊としてもっと利用されてよい。国内や対岸との定期航路の発達、ヨットやウインドサーフィン等の舟遊びがもっと増加するであろうし、飛行場の建設も考えられている。
 また、立体的にみると富山湾の水質は水深300メートルで摂氏2度である。このことは無限の冷媒のあることを示している。低温貯蔵、ポンプで汲み上げての保冷倉庫の建設、温度差発電等、人智の発達とともに利用形態はことなっていくことであろう。
 降水量は冬季雪として降り、白い石炭と喜ばれ、雪害として嫌われる。
 今栄養分の多い低水温の日本海固有水を海面に引き上げて散水し珪藻を繁殖させ、魚を集める人工涌昇の実験と同時に温度差発電の実験が行われている。
※ ベニズワイガニ 普通こういっていますが、水産試験場の人は、ベニズワイとしてカニをとります。 
(ふじい しょうじ・富山大学名誉教授)
−平成2年1月27日放送−
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