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テレビ放送講座 平成4年度テキスト「第8回 風の未来」


 富山県民生涯学習カレッジ本部

TOP 第8回 風の未来 布村 弘

 風は私たち人間の未来の生活に、どのように関わってくるのだろうか。
 未来というものが過去と現在の可能性の発現であるように、風の未来も過去の歴史を投影する。
 風と人間の未来を想像する時、およそ、3つの方向が思い浮かんで来る。第一は、自然の風が持つエネルギーの利用、第二は、人工風の創成、最後は、逆説的に聞こえようが、風のエネルギーの遮断あるいは逸(そ)らすことの3つの道である。いずれも、時と場に応じて千変万化する風の性質、風力の実態についての長期間の観察と研究を前提とするが、第一の道は、数千年来、人類が少しずつ、切り拓いて来た道である。それに比べて、第二、第三の道は、小規模のものはともかく、可能性が大きく開け始めたのは、せいぜい、ここ1、2世紀のことだと言ってよい。
 例えば、人工の風。扇や団扇(うちわ)は、おそらく、自然発生的に見出された原始的な人工風の小道具だが、プロペラによる人工風を使う航空機は、今世紀に入って実用化されたものだ。尤(もっと)も、その可能性は、すでに前世紀末、わが国にもあった。
 アメリカのライト兄弟が、世界最初の飛行機を飛ばしたのは、1902年。しかし、それより12年前の1891年、ゴム紐(ひも)動力の模型機とはいえ、わが二宮忠八は、6メートルの高さで、飛行距離36メートルの飛行機を作っているのである。竹とんぼと船のスクリューをヒントにして作った「烏型飛行器」だ。2年後の明治26年には、「玉虫型飛行器」を設計している。スクリュー型プロペラの複葉機で、下翼は傾斜角も変えられる、両翼の長さ2メートルの大きな機体であった。動力は未解決であったが、原理的には、人間が乗るための設計であった。しかし、日清戦争への従軍と、その後、実業に就いたために中断し、後に忠八がオートバイ用石油エンジン搭載の機体を設計し始めた時は、すでに、ライト兄弟に先を越されてしまっていた。資金と動力開発のために、彼は、日清戦争時に、「有用の軍用器」として、飛行機開発を軍に上申していたのだが、却下されていたのである。後年、当時の旅団参謀長長岡外史は、忠八に長い手紙を寄せて、その不明を詫びたという。
 二宮忠八の場合は、風に向かって物体を飛ばす上昇理論を独力で発見して、プロペラで人工風を作った最初の例だが、彼が作った「烏型飛行器」や「玉虫型飛行器」は、その名が示すように、翼を振らずに滑空する烏や玉虫の姿を徹底的に観察・研究した結果、生まれたものである。したがって、人工の風と言えども、自然の風の模倣であることは明白だろう。
 こうして始まった人工風の歴史は、航空機において、20世紀半ばに、その極限に達し、ジェット機誕生後は、ヘリコプターと小型航空機に、もっぱら利用されるようになったのである。
 ジェットエンジンやロケットエンジンは、無論、人工風ではなく、ガスの噴出による反作用や反動を推力にするものだが、同じジェットでも、ターボプロップでは、プロペラを回転させて推力を得ている面もあるようだ。
 風が空気の動きである限り、人工風は、必ず、空気を動かすために、別の動力を必要とする。扇が人力を、扇風機、冷暖房、風洞は電力を、航空機は石油エンジンを動力源としている。また、普通、人工風はプロペラやファンによる回転か、震動によって作られるが、多分、そのシステムは、基本的には変わらないだろう。
 しかし、最も典型的な人工風は、風の発生原因自体を人工的に作ることから生まれるべきものではなかろうか。つまり、風が空気の濃淡、気圧の高い所から低い所に向かって吹く点に着目して、気圧差のある空間を作るのである。効率や経済性は不明だが、すでに超音速風洞で実現しているように、もし、建物の内に高い気圧の空間を作ることが出来るなら、ダクトを通じて、室内をいつも、風で満たすことが出来よう。それは回転や震動による人工風ではなく、自然の風の発生を模倣した生きた人工風だと言えよう。
 第三の、風を遮断する方法も、すでに、ビニールハウスで実用化されている。
 わが国は、現在、オランダを抜いて、世界一のハウス農業国となっている。欧米とは違い、日本の場合は、プラスチックハウスが全体の95パーセントを占め、ガラス室は5パーセントに過ぎない。石油化学工業の進歩によって、種々のプラスチック・フィルムが作られるようになったからである。
 ところで、私たちは温室やビニールハウス内の昇温が、いわゆる「温室効果」によるもの、つまり、ガラスやビニールが外からの日射だけを通すために、室内にエネルギーが溜まるからだと思い込みやすいが、ガラス室内の温度が上がるのは、温室効果のためではなく、ガラスが内部の暖かい空気を逃さないこと、言い換えれば、外部の冷たい風を遮断しているからなのである。ビニールハウスも同様で、フィルムが内と外の空気の交換を阻止しているためなのである。
 わが国の太平洋岸では、冬の日射量が豊富で、例えば、冬の晴天時の正午の日射量は、1平方メートル当たり、約500ワットになるという。閉じたハウス内の温度は、外より12度ほど高くなるから、仮に、外気温10度とすれば、内部は22度、台湾中部の冬の気温に相当する。真冬にハウス内で熱帯を作ることが出来るわけだ。冬の日射量の少ない北陸では、むずかしいが、季節によっては、富山でも熱帯を作ることは不可能ではない。
 このように、風を遮断すること、風のマイナスのエネルギーを断ち切ることでプラスに転じ、高いエネルギーを獲得出来るのだから、この方向の未来も広いと言えよう。なぜなら、この方法は遮断だけでなく、風を逸(そ)らし、風を逃がすという変形へも発展するからだ。
 確かに、台風のような大型の強風を逸らすことは、現在は″夢の夢″だが、ある程度の局地的強風を逸らすことは、必ずしも、単なる絵空事ではない。ビル風の経験と研究成果を活かせば、遠くない未来に実現するはずのことだ。
 現に、「風の道」と呼ばれる施策が、ドイツのシュツットガルトで実施されている。もともとは、現代の都市の局地的高温化、いわゆる「ヒートアイランド」現象を軽減するために考案されたものだ。大気汚染によるアンブレラ現象、自動車や冷房の排熱、コンクリートの太陽熱吸収、人口の密集・ビルの林立で滞留する空気の温暖化に対して、河川、道路、広場、公園などの空間を利用して一種の風穴をあけ、風通しをよくするという方法である。この方法は風を遮ぎるのではなく、むしろ、活かしているわけだが、これを逆用して、風を逸らし、導くことが出来るはずである。
 まず、局地風の通り道や大気の流れを継続的に調査し、その最大公約数的なものに対応して、広場や街路や建築群を都市計画的に整備する。街並みの造成から建物の構造まで、経済活動、居住環境、防火域などと調整しながら風の道を作り、受けたくない場所から風を逸らし、別の方へ導くのである。
 ビル風の風洞実験や実際が明らかにしているように、風は建物の高さの4分の3のあたりで、上下、左右に分かれ、壁面に沿って、吹き上げ、吹き下ろし、逆流、剥離流、渦流、谷間風となる。こうした多様な形をとる風に対しては、建物の構造次第で風速を弱めたり、流れを変えたりするのは、それほどむずかしいことではない。風の吹きやすい方向に対し、建物幅を狭くするか、円形にするか、吹き下ろしを防ぐために、低層部にも建物を設け、壁面に凹凸を付け、さらにアーケードや廂(ひさし)を設けるか、それらは、すでにビル風対策として採用されている方法だが、その上に、風穴をあけ、防風ネットや防風壁を設置すれば、風を誘導し、逸らすことが出来るだろう。その誘導された風の吹き出し口に、発電用風車を置けば、風の利用は二重となるわけだ。
 しかし、風の未来を考える場合、最も効率が高く、可能性に富むのは、やはり、自然の風のエネルギーを直接、利用する第一の方向であろう。
 地球上で利用できる風のエネルギーは、ある計算によれば、100万キロワット級原子力発電所2万基に相当するという。わが国の風エネルギーの賦存量だけでも、5年前の科学技術庁の統計では、時間当たり、700億キロワットとなっており、それは全国の年間の水力発電量と等しい。言うまでもなく、実際に利用できるのは、その3分の2程度だろうが、それでも全国の年間電力消費量の1割にはなるのである。
 この膨大な風エネルギーを、いかに取り出し、利用するかは、人類の文明の未来に大きく関わる問題であろう。
 その利用には、風力そのものを直接、活かす場合と、風力を回転運動や震動に変えて、間接的に風を利用する場合が考えられる。前者の例には帆走船があり、後者には、風車や風車を使う風力発電がある。風車自体は、紀元前から用いられて来た動力機械で、14、5世紀のヨーロッパでは、不可欠の動力であったが、風車による風力発電は、19世紀末にデンマークで始まった歴史の浅いものだ。また、帆船も、紀元前2500年頃、エジプトの川船で使われてから以後、19世紀まで用いられていたことは周知のことだ。
 直接、間接を問わず、自然の風力を利用する方法には、将来、風力発電や帆船に限らず、様々の発展形態が想定されるが、ここでは、風車または風力発電と帆船の過去の歩みを顧みながら、その未来の形を想像してみよう。
 オランダの風車は、揚水、排水を初め、製粉、製材、製紙、製油など工業・産業のあらゆる分野で使われ、17世紀のオランダ北部には、9,000台も設置されていたという。蒸気機関の出現以降も稼働していたようだ。
 アメリカでは、19世紀から今世紀にかけて、多翼型風車600万台が揚水用に使われ、今なお、15万台以上も動いているというから驚く。
 水車と違って、風車になじみの薄い日本では、あまり見かけないが、いろんな型の風車が作られている。以前は4枚翼のオランダ型や多翼型あるいは、2、3枚翼のプロペラ型が用いられていたが、最近では、風向き制御も要らない低コスト風車が開発されている。垂直型だけでも、ダリウス型、ジャイロ型、サボニウス型があり、その作動原理と性能に従って用途別に使い分けられている。例えば、多翼型低速風車は、トルクが大きいので揚水ポンプ用に、プロペラ型の高速回転の風車は発電用にという具合だ。
 アメリカのカリフォルニア州では、1万数千基の小型風力発電装置が、今も稼働中で、広大な農場に必要な電力をすベて、その電力でまかなっている。
 1973年のオイルショックを機に、世界各国が大型の風力発電システムの開発に取り組み始めたが、それはやはり、人々が無尽蔵の風エネルギーを、人類に残された資源だと認識し始めた証拠であろう。使い切ることのない永遠の資源だ。
 昼夜や夏冬という避け得ない地球の宿命や日照と雨天といった自然条件に大きく作用される太陽発電が広く実用化され始めた現在、風力発電の一般化、実用化も、そう遠い先のこととは思われない。昼夜の交代という地球条件さえも、夏の北極圏、冬の南極圏に限定すれば、原理的には、常に昼の日照を得て、太陽発電が可能なように、ブリザードやカタバ風を活かした風力発電は、昼夜の存在が決定的な條件とならないだけに、いっそう可能性に富むからである。まして、ビル風を効率よく利用すれば、高層ビルの立ち並ぶ大都市の中で、風力発電をすることも、決して空想事とは言えないだろう。一般に、地上付近の風力が弱く、高所で強いという風の性質を利用していけば、遠からず、超高層ビルの屋上で、風車が一斉に回っているという新しい都市風景が見られることだろう。さらに、海の波のエネルギーと風のエネルギーの相剰作用を使った風波発電も、全くの夢ではなくなるであろう。
 他方、直接、風を利用する帆船の場合は、船の中心軸に直角に帆桁(ほげた)を張り出した古い型の横帆船から、三角帆の縦帆船に発展し、さらに19世紀にクリッパーと呼ばれる大型帆船に至って完成を見た後、蒸気船やジーゼル船に、海運の主役の地位を譲って、すでに100年以上の時が過ぎている。
 しかし、大型洋式帆船にしろ、1枚帆の和船にしろ、何百年も活躍し得た最大の理由は、やはり、風を直接的に利用出来る効率の高さにあったと言えよう。
 江戸時代の千石船、いわゆる弁財船(べんざいせん)や北前船(きたまえぶね)は風向と地形の関係で、日本海側で遭難漂流することは少なかったが、和船特有の構造的欠点を持っていた。水密甲板の不完全、巨大な楫、固定されない楫、外艫(そととも)の詭弱、船体の割に大きい帆柱と帆などがそれである。しかし、例えば、二八端帆(にじゅうはったんほ)、1,500石積み和船は、実際には2,000石以上の積載量と、早い船足を持っていたのである。追い風の時、洋式大型帆船が追いつけなかったという西欧人船長の証言が残されている。真後(まうしろ)から追い風を受けた時の横帆の威力は、そのまま風の威力である。明治中期以後、次第に機関船にとって替わられたとはいえ、船主たちが完全に帆船を見捨てたわけではなかった。なるほど、富山県の場合を見ると、明治16年の471隻が、21年に、一時的に657隻に増えているが、41年には105隻、大正元年には60隻と激減している。汽船は逆に、明治23年の3隻が、40年代には15隻以上となっている。
 しかし、文政年間から船問屋を営んでいた伏木の能登屋藤井能三は、三菱に対抗するために、放生津の宮林家、東岩瀬の馬場家ら船問屋と共に、明治13年に「北陸通船会社」を設立し、明治20年代の3、4隻から40年代に50〜70隻に増やしている。その中には汽船だけではなく、帆船も加わっている。彼らは明治期にも帆船の有用性を信じ、風に未来の夢を託すことを忘れなかった人たちであった。彼らの夢が、ここ10年の間に、新しい衣装をまとって実現しようとしているのだ。
 1970年代に、帆走船の実験船「だいおう」が進水し、今や、世界の海には、十数隻の帆走商船が走っている。1985年には、イギリスのサザンプトンで風力船(ウインド・シップ)のシンポジウムが開かれ、そこで、風向が60度から150度の範囲では、風力利用の効果が著しく、大幅なエネルギーの節約が可能なことが明らかにされた。
 近代的な帆走船は、風力とエンジンの共用で、エネルギーの節約を根本思想としている。帆も布ではなく、硬帆(ウイング・セール)の金属製で、展帆・縮帆は操舵室からリモート・コントロールされるので、乗組員も小人数で済む。しかも船の安定性が高く、荒天でも走行出来るために運航日程が安定するなど利点が多い。従来でも、「日本丸」や「海王丸」などの練習帆船に乗った船員たちは、口を揃えて航海時の快適さについて語っている。文字通り、洋上を滑るように疾走する折の静けさ、心地よさは、機関船の遠く及ばないところだという。
 21世紀には、厄介な静電気問題を克服した巨大タンカーや、船体の傾斜を解決した美しい客船が、硬帆を展縮しつつ、富山湾上を行き来する姿が数多く見られるのではないか。
 以上、風車による風力発電と帆船を例に、風利用の未来を展望して来たが、言うまでもなく、富山の風の特性を活かした利用法の開発は、今後の課題である。風による震動を活かす技術、風雨時に必要な排水や揚水に、激風を逆用する装置の開発、風神の風袋に風のエネルギーを蓄える「蓄風」の可能性など、私たちの風に託す未来への夢は、限りなく大きく、かつ広い。
(ぬのむら ひろし・高岡法科大学教授)
−平成5年3月13日放送−
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