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テレビ放送講座 平成12年度テキスト「第4回 信仰と民謡」


 富山県民生涯学習カレッジ本部   '01/02/10

TOP 第4回 信仰と民謡 伊藤 曙覽

ふるさとに謡ありて 〜富山の民謡〜1.踊り念佛から念佛踊りへ
 現在多くの人々は、念佛は極楽往生の願いを実現するために始ったと解している。
 日本に伝えられた初期の念佛は、中国の五台山の法照流五会念佛(ホウショウリュウゴエネンブツ)で、天台宗の僧円仁(エンニン・794〜864)が行った比叡山常行堂引声(インゼイ)念佛といわれ、歌讃詠唱する音楽的念佛であった。これは願生(ガンショウ)浄土のためでなく、天台宗の四種三昧の実践であり、阿弥陀佛の名を詠唱して常行三昧を行ずることで摩訶止観(マカシカン)の諸法実相の理を悟るためのものであった。だから念佛は方便として用いられたのであった。この念佛の曲調を伝承して比叡山の常行堂の不断念佛に結番(けつばん)するのが堂僧であった。融通念佛の良忍(リョウニン・1072〜1132)がこの堂僧の中から出たのも理のあることであった。
 この常行三昧の引声念彿が融通念佛に通ずるものである。
 融通念佛は一般に「一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行」というのは、常行堂の引声念佛に源をもつ詠唱念佛であった。その曲調を、朗詠、今様のような日本的発声法にし、民衆に歌いやすくしたものが良忍の融通念佛であり、念佛を合唱することですべての人の往生を確かにする方法であった。
 現存の詠唱念佛である六斉念佛は、先の融通念佛のうち「四編」(シヘン)「阪東」(バンドウ)「白舞」を入れているので、六斉念佛は融通念佛から出来てきたことを示している。
 この融通念佛と踊り念佛は鎌倉時代の中頃に現われる。それは円覚十万上人道御(ドウギョ)であった。道御は正嘉(ショウカ)元年(1257)壬生寺(ミブデラ)で融通念佛狂言を始め、融通念佛は大念佛の名で踊り念佛化した。道御は唐招提寺や法隆寺の勧進聖で10万人を勧進するごとに大念佛会を営み十万人聖といわれ、生涯に100万人勧進をしたので、百万聖人(しょうにん)ともいわれた。また、謡曲「百万」はこの聖を題材にしたものである。
 踊り念佛は空也(クウヤ)(903〜972)に始まる。『日本往生極楽記』に記されているように市聖(イチヒジリ)といい、阿弥陀聖というように念佛に重点をおく跳躍、足踏を中心に、鉦(カネ)や杓(ヒサゴ)を持つ程度とみられる。
 すべての芸能は神や霊に対する鎮魂、呪術舞踊に出発し、死霊や怨霊による凶作や疫病をさけるために呪文、呪声、仮面、呪具、足踏(反閇(へんばい))があるけれど、呪具はやがて風流へ発展し、呪文は歌謡や念佛へ、呪舞は舞踊や行道へ発展したものである。空也上人の頃も大念佛や怨霊鎮魂の御霊会が屡々なされており、踊り念佛も大念佛となったことは自然の歩みとみられる。源平争乱による怨死者を亡魂する七日間大念佛が「法然上人行状画図」(巻三十)にみえる。地方では遊行聖(ユウギョウヒジリ)たちのすすめで大念佛がされている。
 大念佛の場所に供養卒塔婆が立つことが多いが、空也没30年の後に記された『拾遺抄』に「市門にかきつけて待りける」とあり、寿永(ジュエイ)3年の『拾遺抄註』に七条猪隈(シチジョウイノクマ)の市門に石卒塔婆をのせている。この市門のあとに一遍の市屋道場が建てられたのである。
 一遍上人(1239〜1289)は時宗の開祖で弘安2年、信州小田切で踊り念佛を始めたという。それは空也上人のものを受け継いだので、『聖絵(ヒジリエ)』を見ればわかるように「うたう念佛」であり、融通念佛であった。一遍の配った南無阿弥陀佛の賦算札は60万人を志したが、25万人で入寂(ニュウジャク)した。世間では時宗特有のものと考えているが、実は融通念佛のものであった。
 『一遍聖絵』の踊り念佛では高台の館の庇の間に狩衣姿の主人、そして従者が座し、板縁に一遍が立ち鉢をたたく。庭では20人程の僧と俗が輪を作り、中心に鉢をたたく者がある。鉢と簓(ササラ)をもつ僧侶がいる。足拍子をそろえ、踊りに熱中している。老僧が撞木(ツエギ)をもち、若僧侶が鉢をもって、踊りの輪の中心で踊る。これが調声人物(チョウショウジンブツ)である。風流踊りの念佛では願念坊(ガンネンボウ)、願人坊(ガンニンボウ)、道心坊(ドウシンボウ)、新発意(シンボチ)に当る。
2.盆踊り
 旧暦7月13日〜16日、新暦で8月13日〜16日を中心として孟蘭盆会にする舞踊を盆踊りという。村落で先祖を迎え、夜を徹して舞踊するものである。
 折しも日本人は正月、お盆、春秋お彼岸に先祖がこの国土へ帰り来るとの霊魂観念を持っており、その折に先祖を迎えて交歓舞踊するもので、仏教の解説によって亡魂供養が広まった。         
 盆踊りは室町期の永享(エイキョウ)の頃、『看聞御記』によると風流(フリュウ)行列に念彿を囃す形が生じてくる。『経覚私要鈔』『大乘院寺社雑事記』が著された長禄から文明年間には、練り物と踊り念佛が華麗な盆踊りに変化してきた。
 永禄(エイロク)11年(1568)京都烏丸の盆踊りに真ん中に幟(ハタ)をもち華麗装束の50人以上の町衆が二重の円陣で盆踊りをした。4年後の元亀2年、京都室町衆によって、7月16・17・18・19日に盆踊りが行われ、73の燈籠風流(フリュウ)で賑わった。
 『多聞院日記』『実隆公記』『三藐記』『慶長日件録』を並べると、室町期、京都、奈良の盆踊りが150年程の間に公家衆、町衆に、また華麗風流(フリュウ)も踊り念佛として民間に浸透してきたことがわかる。一方踊り念佛も空也、一遍からみれば、これ又風流(フリュウ)により変化してきている。
次に、江戸時代の幕藩体制下での厳しい取り締りの下で、どういう姿に変化したかを理解しておかねばならない。
 江戸期の風俗等を記した『風俗問状答』をはじめ、『飛州志七』『羇旅(キリョウ)漫録中』『中陵漫録巻十四』『守貞漫稿巻二十四』『嬉遊笑覧』をみると盆踊りは7月夜、笛、太鼓、三味線、鉦が入り、男女が踊り、音頭取がでて七七七五調の唄で流行唄伊勢音頭、ときに僧衣で「鉦をうち地獄極楽の事など作りたるものに、節をつけて唄い」「念佛踊りと名付、盆前より男女大勢入交りて、鉦太鼓等にてはやし踊り候その唄身ぶり実に鄙(ヒナ)ぶりにて甚だおかしく、それを楽しみ盆遊びにいたし候」(奥州白川)、丹後峯山では「町方いろは音頭、在方那須の与市扇の的」などから、一般に目蓮尊者(モクレンソンジャ)の物語りも唄の中へ入ってきた。
 盆踊りの母胎は古代の鎮魂の儀礼であり、中世になつて風流(フリュウ)や踊り念佛と言われ、寺院の法会に付随してきた。近世になると、各地の様々な踊りの手ぶりが加わり、風流踊りとなり、念彿踊りになり、次第に娯楽化の方向へ転化してきたとみられる。
 ところが踊りが何度も禁止されたのは、民衆の結集が大きな脅威であったからであり、江戸期に伊勢音頭はしばしば禁止された。富山県八尾町黒瀬谷の本法寺には盆踊りの折、伊勢音頭を唄うことを禁じた文書があり、伊勢音頭の波が年を異にして入っていたのである。
 越中の盆踊りを眺めると、多種多様ではあるが大要を列挙しておく。
下新川 はねそ、口説き、ざんざか、千代萩、鈴木主水、見真大師口き説
黒部 はねそ、川崎、まつざか、二十八日口説、古代神、見真大師
魚津市 はねそ、蝶六、松坂、見真大師
滑川市 松坂、はねそ、古代神、心中物
上市町 川崎、鈴木主水、松栄、歓喜嘆
富山市 松栄、えんやら、やんさ、野下、鈴木主水
大山町 サッサ、えんやら、ガラテン、心中
婦中町 やんさ、川崎、どっとこせ−(お七くどき)、おわら、忠臣蔵、歓喜嘆
新湊市 口説き(サカタ)、ぼんぼら貝、野下、坂田、段物、忠臣蔵、やんさ、荷下、ちょんがれ、からくち、歓喜嘆
氷見市 青田、ぼんぼら貝、ちょんかり、鈴木主水、忠臣蔵
福光・城端 チョンガレ、さかた、目蓮尊者、けいけいづくし、松坂、八百屋お七、鈴木主水、村づくし
五箇山 ちょんかり、八百屋お七、草島ぶし、古代神、川崎、坂田、あさい、麦やぶし、平井権八
高岡・砺波・戸出 さかた、本回り、栗ひろい、すすはき、石山合戦、おさ物語 けいけいづくし、鈴木主水、平井権八 ないないづくし
庄川町 ちょんかれ、目蓮尊者、地獄めぐり、鈴木主水、石山合戦、袖しぼり、忠臣蔵、栗ひろい
井波町 ちょんかれ、地獄めぐり、宮本左エ門、一ノ谷村づくし ものづくし、ないないづくし、坂田、綽如上人
福野町 ちょんかれ、坂田、宮本左エ門、鈴木主水、石山合戦、目蓮尊者、釈迦一代記
小矢部市 さんかさ、目蓮尊者、鈴木主水、袖しぼり、八百屋お七、村づくし、古代神、ないないづくし
福岡町 坂田、さんかさ、目蓮尊者、鈴木主水、袖しぼり、すげさ、青田、ものづくし、盆踊り、チョンカレ節
3.盆踊り チョンガレ
 北陸の盆踊りにチョンガレ節が広く歌われている。
 チョンガレの名は念佛聖くずれの願人坊主が鉦(カネ)をたたき諸国を歌い歩いた音曲ともいうが、チョンガレの語は「ちょろける」「ちょうける」、関西の「悪ふざけ」、関東の「ちょき者」、瓢軽(ひょうきん)の意ともいう。
 そのことばは福井市、加賀、能登、越中に分布している。特に越中の呉西では横綱、大関、関脇、小結、前頭という番付にして音頭取の美声を競い神社、寺院での大会では、その名を掲額している。
また、音頭取の師匠の碑が呉西地区(小矢部市・砺波市)にみられる。チョンガレ流行は、特に吉崎、二俣、福光、城端、小矢部、福野、川崎、桂(五箇山)と地図上で一直線に並んでいる。
 一方、チョンガレ節の台本が福光、井波、戸出の各図書館に所蔵されている。特に福光町図書館には江戸末期から、明治のものが多く、県文化財に指定された。
 この台本からもチョンガレの諷刺即妙の戯れの意を十分理解することができる。
 新川地方の古代神は新保広大寺節(シンボコウダイジブシ)を母胎にした口説き節で、踊りの振りは願人坊主の踊りが基本である。また魚津のせりこみ蝶六は、この古代神から分かれて出来たものである。石川県津幡町のチョンカレ盆踊りは県指定文化財になっているが、実は越中から願人坊主が訪れて伝承されたものだと伝えている。
 次に県内のチョンガレ保存会を紹介する。
(1)小矢部市東蟹谷地区、ちょんがれ保存会
昭和52年7月1日成立、平成 9年2月『ちょんがれ保存会二十年の歩み』発刊、会員44名。
 伝承によると、文明3年蓮如上人が越前吉崎から越中へ布教に来られ、蟹谷庄土山の土山御坊(現伏木勝興寺の旧跡)を作り、高木場(高窪)に移り、小原道は加賀、越中の交通要地で、この道筋にちょんかれ節が唄われ、報恩感謝の盆踊唄と伝えている。
 盆踊りの場所は浄福寺(水落)、勝満寺(水島)、清月寺(芹川)が多く、9月の地蔵祭が最後であった。歌詞として次の如くである。
●浄瑠璃風のもの…仮名手本忠臣蔵、太閤記、勧進帳、源平盛衰記等
●仏教説話風のもの…目蓮尊者、釈迦八相記等
●武勇風のもの…平井権八、岩見重太郎、鈴木主水、石山合戦等
●人物風のもの…八百屋お七、箱根仇討等
 この中で特に好まれたのが、「目蓮尊者地獄めぐり」「鈴木主水」「八百屋お七」等である。
(2)福光町ちょんかれ保存会
 事務局 福光町商工会(元町教育委員会)
 設立  昭和43年4月
 会員  約60名
 事業
 ・毎月2回夜、昼練習他、発表会4回
 ・8月16日 福光町宇佐八幡宮で大会
 ・11月5日 福光農協会館で大会
 唄、ちょんがれ
『目蓮尊者 全五段』『石山合戦』『清八おつじの恋ものがたり』『蜈蚣(百足)退治』『鈴木主水 上・下』『八百屋お七 四段目』『平井権八 岩屋の段』『雲州作兵衛白石囃』『宮本武勇伝』
  唄、からくち
『俵藤太縄ケ池伝説物語』『けいけいづくし』『八百屋お七物語』『青物づくし』『草づくし』『国づくし』『赤間ケ関和尚おとし』等
(3)城端ちょんがれ保存会
 事務局 城端町西上4059 善徳寺
 設立 古い一心講で昭和30年まで続き、平成元年復活。
 会長 中谷吉蔵
 会員 30名程
 事業 秋まつりに各村でちょんがれを唄っていた。
(4)庄川町五ヶ種ちょんがれ保存会
 事務局 庄川町役場企画課
 会員 60名程
 行事 新築祝い、お盆おどり。
 次に石川県のチョンガレを、長岡博男著『石川県民謡』(北陸放送KK)から引用すると
じょんがら 野々市町、鶴来町、能登町、寺井町、鹿島郡中島町、輪島町
ちょんがり音頭 河北郡津幡町、羽咋市神子原
ちょんがり節 輪島、珠洲、鳳至郡柳田
歓喜嘆 野々市町、河内村
蓮如おどり(シャシャムシャ) 加賀市塩屋町
アミダ様にて おじや思われた 蓮如仲人で文もろうた
六字さまから しめ酒もろた やって貰うぞ お浄土まで                                
千両だいても 買われぬ後生(ゴショウ) アミダ様から たゞもろた
 この他に、能登時国の盆踊り、福井県芦原町浜坂の盆踊り、石川県白峰村桑島の「じょうかべ」の口説きなどのチョンガレがある。(服部龍太郎著『日本の民謡』、石川県教育委員会『歴史の道調査第一、北陸道』、『白峰村史』参照)
 北陸の福井、加賀、能登半島、富山県呉西地区の分布をみると、蓮如時代と言えなくとも真宗と深い関連がみられる。
 チョンガレ節は一般に浪花節の前身とみられて、説教祭文から変化してきたと解されたが、特徴は節(フシ)が早口で軽快になり、冗談を交じえて人を笑わせ、独特の台本もできた。ときに浄瑠璃の一部を口説きにしたものが語られ、台本は古いもので、節だけチョンガレのものもあった。チョボクレ チョボクレ、チョンガレ チョンガレのはやし言葉も入るが、その発声法は「へばり声」と言われて、祭文も、チョンガレも、浪花節も同じとされている。また浪花節の節廻しは義太夫、祭文、歌舞伎の声色にも取り入れられ、近畿地方の盆踊り「江州音頭」にも取り入れられた。
 浄土真宗の色が濃いのは、浪花節への以前に、浄土真宗の唱導に利用されていたらしく、『綽如上人記五段次第』『釈迦八相記ちょんがれぶし』『石山合戦ちょんがれ』『目蓮尊者ちょんがれ』『童子丸』『親鸞経』等が有力なものである。こうしてみると、チョンガレ節の民謡史上の位置を理解することができる。
4.盆おどり・ちょんがれ台本所有者一覧
◎〔高岡市戸出地区〕
大塩平八郎 安政5年7月 竹村 作蔵
石山軍記豊若之段 文久元年9月 竹村 伝右エ門
白石噺敵討之段 文久3年8月 竹村 田中竹次郎
しゃかねはん 明治12年2月 江波村 中島権三郎
田畑和寿記章 明治23年6月
いざり勝五郎 明治35年6月
越後伝吉一代記 明治35年6月
牛若丸鞍馬下之投 明治35年6月
新造改銭屋五平之段 明治35年7月 五福村 前田勇太郎
橋本屋半左エ門 明治36年8月
稲葉小僧一代記 明治41年8月
宮本武蔵 明治44年2月
太閤記     〃 6月
天下茶屋返り討之段 〃 9月 江波村 広安藤一郎
岩見重太郎才助之段 明治39年8月
岩見重太郎お次返り討之段 〃
日清軍記         〃
笠松峠鬼神お松 明治35年3月
荒屋村 佐伯与三吉
 ◎〔砺波市鷹栖地区〕
  (柴田三之?、現砺波市 柴田清)
  ○印『日本庶民生活資料集成』第十七巻(三一書房)収録
童子丸 慶応2年正月
かいかいずくし 明治7年2月上旬
○染色づくし   明治8年2月上旬
○あしやどうまん 明治8年2月中旬
○岩見重太郎才助之段 明治8年2月中旬
○稲幡幸蔵    明治8年3月中旬
○江洲さわやま ひこにそ道 明治10年1月中旬
○小栗判官 萬屋之段 明治10年10月
○新龍志京段(親鸞聖人の記) 明治11年1月
○大坂米値段(大塩平八郎の記) 明治11年1月
○目蓮尊者 明治11年3月中旬
○花川五郎蔵一代記 明治12年6月10日
○越後心中くずし 明治14年7月上旬
○江洲彦根之段  明治15年9月吉日
 ◎〔福光町〕 (福光町立図書館所蔵)
釈迦八相記
釈迦如来
釈迦如来噂噺一段目(台本62冊所蔵)
目蓮尊者 一代記
石山合戦 一段〜七段
忠臣蔵(一段〜十段)
鈴木主水 やんれぶし
佐倉宗五郎口説
宮本一代記 一〜五段目
因幡小僧 宝蔵段
源氏兄弟盛衰記 勧進帳
岩見重太郎
岩見重太郎頼上之段
宮本武蔵 三段、四段、五段、六段
宮本武蔵 柳生但馬守道場
牛若丸 鞍馬下り
蜈蚣退治
三腹誌敵討 団七初段
太閤記
石井常右エ門一代記
源蔵参尊
童子丸一代記、龍宮六投、八段目
江洲彦根騒動噺 一〜二段
清八おつじの恋ものがたり
伊達娘恋詠火取之段
団九郎岩屋道行
伊賀水月発生伝
箱根利源・初段二段
小栗判官殿 四段・五段『明石所段目』
 ◎〔井波町地区〕
綽如上人五段次方 元禄3年 院瀬見 前川与作
いなば幸蔵篭之段 嘉永4年  〃   〃
石山一代記 安政6年  〃   〃
石山合せん 安政6年  〃   〃
小栗はんくわん  明治26年  〃   〃
目蓮道行初段  明治30年  〃   〃
万屋長右エ門  明治30年  〃   〃
初花れんぼの段  明治31年  〃   〃
目蓮地獄めぐり  明治33年  〃   〃
大者判口通親之笑ぶし 嘉永4年 柴田屋 市蔵
焼山崎二段   嘉永7年  〃   〃
釈迦八相記   安政3年  〃  栄太郎
小栗判官    安政5年  院瀬見 松田
石井常右エ門  明治25年  〃  松田仁太郎
宮本左門之助天神雲昔物語 明治35年 〃 松田栄五郎
宮本左門之助  明治16年  梅新村 五左エ門
牛若丸     明治18年  高堀村 森田助三郎
童子丸     明治35年  高堀村 森田次郎
明石騒動代捨  明治35年   〃   〃
伊勢常右エ門吉原之段 明治43年  〃   〃 
親鸞記     明治43年   〃   〃 
 ◎〔五箇山平村地区〕(小来栖、山口理作、現展正蔵)
目蓮尊者地獄めぐり(一段〜五段)
八百屋お七 
平井権八 小紫口説
阿波鳴戸 順礼口説
鈴木主水 白糸口説
越後伝吉 口説
佐倉宗五郎 口説
宮本佐門之助 怨討之段(一段〜六段)
忠臣蔵(一〜十一段)
島心中
太閤之たこ
嫁入之たこ
団七之たこ
けいけいづくし
無々づくし
ぼうぼうづくし
 ◎〔庄川町五ケ〕(正法寺所蔵)
  ・目蓮尊者
  ・五ヶ長音加礼
  ・説教祭文節八行
参考文献
五来重『踊り念佛』平凡社選書 117 1998年3月 平凡社
『日本庶民生活史料集成第十七巻民間芸能』1972年11月 三一書房
黒坂富治『越中の民謡』1979年 北日本新聞社
伊藤曙覽『民俗からみた蓮如上人』(『蓮如上人研究』所収)
蓮如上人研究会 平成10年3月 思文閣厳 『京都の民俗芸能』京都府教育委員会 昭和50年6月 大文字書林
『ちょんがれ選集』福光町・福光ちょんがれ保存会 平成12年2月
『ちょんがれ保存会 二十年の歩み』 小矢部市東蟹谷地区ちょんがれ保存会 平成9年2月
林屋辰三郎『歴史・京都・芸能』朝日選書114 1978年7月 朝日新聞社
『井波町史 上』井波町 昭和45年5月
『庄川町史 上』庄川町 昭和50年6月
『砺波市史』砺波市 昭和40年3月
(いとう あけみ・元富山県史編纂専門委員)
−平成13年2月10日放送−
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